akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色

回顧録

パソコン通信とターミナルソフト

mailコマンドでメールしていたので、Sun-OSのグラフィカルなツールを見たときはUnixも便利になったもんだと思いました。でも、macsで十分なんだよね。パソコンでは、CCTとかWTERMとかいろいろ使ってみたけど、一番気にっていたのは、AirCraft。Craftというプ…

パソコン通信とモデムの伝送速度

日経MIXのテストユーザだったので87年9月の開局以前から利用していたようだ。いくつかの草の根BBSで遊んだ後に、商用パソコン通信サービスを利用しようと思ったのは、幕張勤務になってから。IFTY-Serveに入会したのは1991年らしい。1,200のモデムを購入した…

なぜ会社辞めたか

会社を辞めるときは、ここには書いていない、いろいろ条件(不満)が積み重なって辞めるものです。ひとつ目の会社は バブルが崩壊し、リストラが始まり、優秀な先輩がどんどん辞めていく最中、#経営会議の議事録をみると悲しくなる状況でした #読めていたんだ…

80年代後半

そんなこんなで、SA/SDやらなんやらやって、 #そいえば、SQLってやつにもこの頃出合った #以降、RDBNSベンダの衰勢をみていくことになる オブジェクト指向に行き着いたのですが、Unixなんてビジネスでは使い物にならないと信じられていた時代に、オブジェク…

80年代中頃

VAX-11を見せ付けられて就職。ちなみにDECにも面接にいったが、受付で待っている間に外人がいっぱい来るので、この会社では働けないと思った。 職場にはメールサーバと成り下がっていたVAX-11さまがいた。とはいえ、COBOL全盛期のなか、ここだけは社内では異…

80年代前半

HITAC 20が通信制御装置に成り下がっていて、びっくり。というか、いちいちTSSからホストにバッチでコンパイルさせるより、こいつにコンパイルさせれば早いじゃんと思っていた。IPLが8インチFDに記録されていましたが、プログラムはパンチカードで書いていた…

70年代後半

私が始めてプログラムを書いたのは、1977年の春。DCアンプが世に出た頃。NFBを思いつた人は偉いと思った。300Bにあこがれていた、電卓ではなく計算尺世代。実家には当時作りかけていた、マランツ、マッキントシュがある(はず)。 こんなバックグラウンドがあ…

ニフティ入会14周年

だって。ニフティに入会したというよりも、compu serveに入会したつもりなんだが。アスキーと日経mixとPC-VANをやめて、14周年ということだ。インターネットと呼ばれず、uucpな時代であった。私の使っていたunixマシンはシグマプロジェクトのおさがりであっ…

なぜOMTを訳さなかったか

上司から一応、打診された。上司は私を説得するのが苦手だから、英語が嫌いな私にとりあえず、あとで文句言われたくないので打診はしたという証拠固め程度の打診であった。「へん、ブーチじゃないし」という気持ちと、お駄賃ができあがった本一冊という人を…

学生時代

初任給よりも稼いでいて、バイトは車で通っていました。もちろん、中古でランサー・セレステというマニアな車でした(残念ながらSYSTEM80は買えなかった。もっと残念なのは117クーペは雨漏りするからと買わなかったこと)。クーラーを入れると走らないという欠…

学生の頃の仲間たち

もっとも優秀だったのは、PC88の某コピーツールを開発したやつだったが、物故。業界にいるのは、東芝にいる河込さん(そうあの方)くらいで、プログラミング以外に車遊びの楽しさを教わりました。で、ANAの整備工とかコンサートマスター(けっこう有名)とか…

お礼は後進に

学生の時、計算機センターの人はいろいろな意味で当てにならず、自分たちで頑張って使うしかなかった(学生に開放してくれた教官もたいしてものですが)のですが、当然に分からないことだらけで先輩もわからないながらにわかり方を教えてくれたわけです。本当…

postmaster

ある会社に転職しての初めての仕事がドメイン取得というかuucp接続だったのですが、その会社が合併してそのドメインがなくなることになりました。ちょっと哀しい。 当時SunOSのころで、まだまだsenmail.cfを書ける人がいなくてある意味特殊技能だったのです…

歴史の裏側で

BSIに移ったとき時の最初の仕事(正確にUUCP接続が最初だが)がProkapa(IntelliCorp)というC++のIDEの評価だった。当時パークプレースもC++の同じようなツールを出していたし、オージスが扱っていたやつの方が良かったので却下しました。マーケッティングのミ…

守破離ならぬ破離

武蔵野の面影残る練馬に生まれた。雑木林の崖でトタン板を使って滑って遊んだものである。ダイコン畑はすでになくキャベツ畑のなかを学校に30分以上かけて通った。けっこうな田舎だったのである。当時、東京といえども同じような状況であったのではないかと…

ナパバレー

たまにはワインについて。ここ以外のワイナリーにいったことはないのだが(牛久・甲府・富良野を除く(^^;)、ナパバレーはとてもよい観光地です。なるほど、ここで飲むと確かにカルフォルニアワインはおいしいと感じる。ボルダーで飲むクアーズのように。サン…