akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色

守破離ならぬ破離

武蔵野の面影残る練馬に生まれた。雑木林の崖でトタン板を使って滑って遊んだものである。ダイコン畑はすでになくキャベツ畑のなかを学校に30分以上かけて通った。けっこうな田舎だったのである。当時、東京といえども同じような状況であったのではないかと思う。このため、低学年のころは、雨の日はバスで通っていた。そうである。一年の頃から交通機関に一人で乗っていた。高学年の頃は、乗換という高等テクニック?をマスターしてアキバに遠征していた。ラジオ少年であったのである。愚息は、中学になっても乗換をマスターしているか甚だ疑問で、ものを分解することもしない。ましてや、パソコンの一台も組み立てられない。我が家に登場する新参者は一度私に屠られるという洗礼を浴びて一員になれるのであるが、愚息には興味のない儀式らしい。無意味な儀式だと思われているのであろう。ここでソースコードを読めという旧態依然とした思想と類似していることを発見した。他人が書いたソースコードなんて信じられないので自分で安全を確かめてからでないと使えないと信仰していた。もっともブツを屠るのは単なる好奇心であって、最近のブツはつまらないので裏ぶたさえ開けない。ましてやLooxにいたってあけさせてもらえない。これに対して、数百万もした会社のマシンについてきたUnixはまともに動かず、自分たちでデバックしているよう時代を過ごせば他人のソースコードなんて信じれないしできれば見たくないというのが本音であった。ところが、ブツをブラックボックスとしてそのまま素直に受け入れられる世代では、ソフトウェアコンポーネントの再利用はなんがスムースにいくのではないかとふっと思ったしだいである。