akon2.00βのよっぱらいの戯言

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80年代後半

そんなこんなで、SA/SDやらなんやらやって、
#そいえば、SQLってやつにもこの頃出合った
#以降、RDBNSベンダの衰勢をみていくことになる
オブジェクト指向に行き着いたのですが、Unixなんてビジネスでは使い物にならないと信じられていた時代に、オブジェクト指向といっては社内では相手にされず、基盤技術促進センターからの出資を受けた、次世代言語の開発を進めていた子会社に勝手に通勤しはじめた。師匠の師匠である竹下さんに出会ったのもこのとき。
そこでJR(尾関さんチーム)、NKKなど外部の優秀な方々に出会い、楽しく仕事をしていた(育成された)のですが、ハワイ旅行つき(当時の平社員には破格の待遇。しかもビジネスクラスだった)プロジェクトがあるから本社に帰ってこいという命令で、
#その割には、永山から幕張に転勤させられたしw
英語なんて嫌いだから「ハワイ旅行」もいらない、ここにいたいとダダをこねたのですが、いろいろな方に迷惑がかかるのでしぶしぶ参加したのが、ポストオブジェクト指向というSDAプロジェクト。
#わたしが参加したのはSDA IIの方。
これがすばらしいプロジェクトでした。多くの人材を育てたと思う(よっぱらいを育てただけという噂も)。
#参加していなければ、おいしい水を飲む会に参加することも
#多くの人に出会う機会も失われていたでしょう
みなさん、立派に活躍されていますね。かっちゃんが
http://katsu.watanabe.name/doc/comphist/#OSB-2040
まとめてくれているけどwikiに残しておきたいなぁ。参加してびっくりしたのは、如何に自分が井の中の蛙であるか、でした。
#会社としては、当時数少ない公開企業の責務として人をだしておけ
#みたいなやる気のない姿勢でした。
初来日のBoochに会えたのもこのプロジェクトのおかげ。
形式記述を睡眠学習したのもこのとき。
Macを担いでいる伸さんをみたのもこのとき。
そして、ほぼ同時期に青木さんの主催するBlzzardプロジェクトの稟議を通して参加したけど、結局、青木さんには一度しかお会いできなかったのは気のせいかwww
#ちなみに、面白いことにこのプロジェクトには中谷さんは参加されていませんでした
#つまり、デビュー前夜でした
そういえば、Smalltalk(Object Works)の稟議を通すのが大変でした。しかも、動作させるには、ばか高いMac(IIFx)の稟議も通さなければならず、なんかつまらないところで体力使っていました。