akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色

ミシュラン京都・大阪

朝日新聞ミシュランガイド京都・大阪 2010 日本語版 (MICHELIN GUIDE KYOTO OSAKA 2010 Japanese)について、武者小路千家家元が語っていたことが興味深かかったのでメモ。生粋の東京っ子なので、京都の回りくどい言い回しは嫌いなんで、こうゆう物言いは好きです。一方、ちゃんとした京都の店を知らないで「東京の味は・・・」と否定的な関西人には、辟易します。そんな関西人には、昆布締め攻撃してます。

元々、京都の人間は、店で宴会するというようなことをしていません。自宅に客を招き、亭主自ら台所に立って差配した

これは覚えておいて京都人と飲むときにいたぶってあげましょう。
家元の手料理は食べてみたいな。

その意味で、「菱岩」「堺萬」といった今回の評価からはずれた仕出屋こそが、昔ながらの京都らしさを伝える料理屋やと思います。

[興味があります]

店が客を選ぶ。誰と行くか、紹介があるかないかで、でてくるものも味も違う。

一見の客の好みはわからないから、紹介者の好みに合わせるしかないのはいたしかたなし。嫌なら通うしかない。これは別に京都に限らないと思う。でも、プロならば、一見の客の好みを当てて見てほしい。マイバーで、アイリシュコーヒーを頼むと、いろいろ問診がありますw

時に「うちのもんなんか、あんさんが召し上がっても、なーんもおいしいことおまへん」と入店を断ったりする。実に感じの悪い応対やとは思いますが、これが文化。歴史やプロセスの理解がないと、味わえない店があるのも事実です。例えば、精進料理で、禅宗の伝統を受け継ぐ名店「大徳寺一久」がミシュランに出ていなかったのが、印象的でした。砂糖や調味料に慣れきった舌で、あの「大根漬け」をおいしいとは思えないでしょう。

文化というならばしかたないけど、例えがよくない。このどこが歴史やプロセスの理解なんだか。調査員が「砂糖や調味料に慣れきった舌」と断言してしまうのは、どんな根拠に基づいているのでしょうね。確かにそんな予感はしていますが、公器でこんなことを語っていいものなのか。
#MSGなフランス人っているのかな?
#この家元は、調査員がアメリカ人と勘違いして思い込みで語っている気がした
さらに言えば、「砂糖や調味料に慣れきった舌」ならば、別段、京都の店以外でも正しく評価できないわけで、これをもって、「歴史やプロセスの理解」の例とされても意味不明です。鯛やヒラメを美味しいと感じられない人もいるでしょう。私もアメリカの中華料理屋で「これはお前には食べられない」と言われたことがあります。アメリカの黒いゼリーは、食べれないので、このような指摘はありがたいです。それを「歴史やプロセスの理解」といわれてもね。

少なくともこの本の掲載店で「あんさんの口にあうもんやおまへん」という目にはあわないでしょう

つまり、大衆化されてしまった店が採り上げられていると。もしくは、遠まわしに、満席ですとかいって断るということかな。これって京都だけじゃないですけどね。悲しいことに、この家元は京都以外を知らないガラパゴス人なわけですね。