akon2.00βのよっぱらいの戯言

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「ソフトウェア・グラフィテ」のパラレルワールド

ソフトウェア・グラフィティ
岸田さん(k2)の人となりは、書籍を読んでいただくして、この書籍にまつわる人々について書いてみたいと思う。
k2がかかわったひとをすべて列挙したら、名前だけで1冊の書籍になってしまうでしょう。そこで、かかわったひとりとしてのパラレルワードを書いてみる。
私が始めてk2に会ったは、ブーチが初来日にした年(1998)だったと思う。私が博士論文を書いているときだった。CSKという一部上場企業で、取締役と喧嘩して勝手に子会社で働いているとき(書類上は出向)に、「ハワイ旅行つきの」プロジェクトがあるから、そろそろ本社に戻ってきなさいといわれたときのプロジェクトがソフトウェア・グラフィテに書かれているSDAのSDA/IIのとき。当時のCSKで海外に出張するのは功労社員ののみだったから、グレている社員に対しては破格のオファだっと思う(が、ハワイなんかいきたくねーと暴れてみたが、師匠(西ヤン)に諭されて戻った)。で、私が使っていたマシンがk2の本に出てくるSIGMAのおさがり。で、送り出すときの役員の言葉が「業界のリーディングカンパニーの社員として、業界を指導してくるように」。いってみたら、岸田さんの本に書かれている、深瀬さんやら、野村さんやら、盛永さん、熊谷さん、岡本さん、鳥居先生、片山先生、落水先生、山口先生、林香さん、酒匂さん、篠田とモンスターだらけ(このなかの先生方々が先端科学技術大学院を作っていたわけですが)。若手として、筏井さん、康人さん、田村君、東田、柳瀬がいた感じ(エレンさんとカワムカイは事務局)。今泉(何でお前がうちの大学で教鞭をふっているんだよ。ゴラァ)とかはまだ院生だったんじゃないかな。で、目的が「ポストオブジェクト指向」。おいおいCSK社内では「unixなんてビジネスで使えないっていわれているのにムリー」って感じでした。CSKのメンバが書籍に誰も登場していないことからも当時のCSKの認知度(業界での立場)がわかると思います(吉田君とかunixワールド名の知られた人はいたんですけどね)。あとは、書籍に書かれているように、リドルに会ったり、フィシャー先生に会ったりと楽しいプロジェクトでした。歌代さん(お名前でていたかな)もボルダにいたかも。西中君もいたな。で、sraの丸正ビルで打ち合わせがあると、SE30?を背負っている伸さんや、ロングヘアの麻里さん(あれ、山田さんはどこに)など、SEAやJUSの方々がうようよしていました。僕はSEAのメンバーと勘違いされることがあるのですが、何度か若手の会でお話させていただく機会をいただきながら、入会せずに今日に至る。このプロジェクトでお会いした方々と例の九大プロジェクトで再会するのですから、人生面白い(というか人がぜんぜん育っていなかったということですが)。そして、僕が食いしん坊になったのもk2のおかげw
「あおじゅん、救済プロジェクト」だからと、k2にいわれて、FXISのブリザードプロジェクトをCSKに紹介したのものk2。
ハンフリーのCMMの調査でCSKが回答者に含まれているのはk2の紹介(つまり、日本のプロセス成熟度で大きく足をひっぱったわけですが)。
そういえば、個展の案内をいただきながら、一度も伺っていない「ふらち」ものです。えらそうに名前の漏れている人を書き足そうとしたけど、意外と思い出せず、これでもまだ漏れている方はいそうですね。おいおい、追記していきますので、漏れちゃった方、お知らせください。中来田おやじは九大プロジェクトだから、除くw。そういえば、三井物産の吉野さんのお名前も出ていなかったな。三田さんのオープンテックな方々のお名前はあったかなぁ。ICFSEも書いてほしかったな。
ポストk2は誰だろう。