akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色

奥州藤原氏にみる日本人の同化の過程

日本人がどこから来たかについては、別途、述べるとして、奥州藤原氏からいまの列島に住んでいる人種が同化していった過程を類推してみる。
奥州藤原氏は、 「東夷之遠酋」や「俘囚之上頭」などと自称しており、
俘囚の子孫であることを主張している。これは、俘囚に同族意識を持たせて、統治のしやすさを狙ったのかもしれない。俘囚とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、大和朝廷に隷属した蝦夷をさす(異説あり)。蝦夷については、後述するが、「えみし」と「えぞ」は、違う。鵺、土蜘蛛、鬼と同様の用字の可能性はある(つまり、朝敵)。
以下に、奥州藤原氏四代の遺体を分析した結果がある。
http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/544/1/nk13001.pdf
指紋には渦紋が多く、顔は丸顔で、歯のかみ合わせも和人であり、骨格も和人とされた。ところが、この遺体は、ミイラ化しており、これが人工的なものか自然発生的なものかについては、議論が分かれ、もし、人工的なものであれば、アイヌの風習にしたがっていたと考えられる。つまり、遺伝子学的には和人だが、文化的には、アイヌであった可能性は否定されていない。この時代にすでに、蝦夷は和人と同化していた可能性がある。
古代の蝦夷は、「えみし」といい、本州東部以北に居住し、政治的、文化的に、大和朝廷に隷属することを拒んでいた。渡来人の影響をあまり受けず、弥生時代以降も引き続き、続縄文文化や擦文文化に属する人々が居住し、関東以南とは異なる歴史をたどった。律令制の時代には陸奥国出羽国が置かれ、隷属させられ、俘囚と関東以南から移住して来た人々が入り混じって生活していた。つまり、和人と俘囚は緩やかに同化していた。
11世紀半ば、陸奥国には安倍氏出羽国には清原氏という、俘囚の流れを汲む豪族がいた。1062年に安倍氏は滅亡したが、安倍頼時の娘は、亘理郡の豪族・藤原経清に嫁ぎ男子(清衡)をもうけていた。経清は、「前九年の役」で囚われ斬首されたが、その妻(つまり頼時の娘)は、清原武則の長男・武貞に再嫁し、清衡も武貞の養子となり、長じて清原清衡を名乗った。そして、真衡(武貞の子)、家衡(異父弟)の死後、それぞれの所領を清衡が相続し、清衡は実父・経清の姓である藤原を名乗り、藤原清衡となった。これが奥州藤原氏の祖である。なので、血筋的には、安倍氏清原氏が俘囚の子孫であるならば、奥州藤原氏も俘囚の子孫である。
そして、奥州藤原氏鎌倉幕府によって滅ぼさ、東北地方は、蝦夷とは無関係な幕府に支配され、蝦夷(えみし)や俘囚は、歴史から抹殺され、蝦夷(えぞ)に置き換えられ、中世以後、蝦夷は、アイヌを指すようになった、
つまり、蝦夷(えみし)という民族を滅ばしたという事実はもみけされ、蝦夷という民族はもともといなくて、アイヌがいたという歴史の改ざんがあったと思う。逆に言えば、鎌倉幕府奥州藤原氏を討伐したのは、奥州藤原氏蝦夷であったからかもしれない。これは弥生人蝦夷を同化した過程であり、弥生人(渡来人)は同様に縄文人(先住民)も同化したのではないか。そして、いつの時代も渡来人はやってきて、弥生人も先住民となり、あらたに渡来人を受け入れることを繰り返してきた。弥生人が渡来人かどうかは以下を参照。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_08yayoijidai_no_toraijinn_no_kibo.html

歴史を見ると、こうゆう渡来人の波状攻撃を受け、日本は多民族国家だったんじゃないかと思う。この同化してしまうことが列島の特性で、大陸との違いではないかと思っている。日本が単一民族国家であるというならば、歴史の短い国に対して、多民族国家というのは早計で、1000年後、2000年後、(日本のように少数民族を同化してしまえば、)単一民族国家になっているかもしれない。