飢饉、疫病、戦争を抑え込み、人類のつぎの課題は不死、至福である。
幸福とは快楽(と苦痛からの解放)である。
快楽以外には善悪はなく、別の物から善悪を導き出す者は人を欺いているか、自分を欺いている。快楽は長続きしない。
それは、人間の生化学系は幸福ではなく生存と繁殖の機会を増やすように適応してきたからである。つまり、生化学系は生存と繁殖を促す行動に快楽で報いるから、
快楽は束の間しか続くない。
空腹という不快感を避け、心地よい味や至福を楽しむために、
食べ物や生殖行為の相手を得ようと奮闘する。
そして不死や幸福の探求は、最終的に神性の獲得へとつながっていく。
結果として、人類は、不死、至福、神性を手に入れようとする。
幸福に対するアプローチは、生命科学とブツダと異なる。
ブッダは快楽と幸福を峻別し、快楽を追い求めないことが幸福につながると説いた。快楽というのは一時的な現象であり、追い求めれば求めるほどに、幸福は遠ざかってしまうというわけだ。だが現代科学は生化学的なアプローチで、この問題に対処しようとしている。向精神薬や興奮剤の使用はすでに一般的だし、究極的には永続的な快楽を楽しめるように、今後はホモ・サピエンスそのものを作りなおす方向へ舵を切るかもしれない。
他の動物が人間に対抗できないのは、魂も心もないからではない、想像力がかけているからである。
逆に言えば、この世界に意味を与えている虚構を読み解く必要がある。
科学と宗教にまつわる誤解は、宗教の定義の仕方が間違っているからである。
宗教とは、社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するための手段である。
宗教の物語には次の三つの要素が含まれている。
・「人の命は神聖である」という倫理的な判断
・「人の命は受精の瞬間に始まる」という事実に関する言明
・倫理的な判断を事実に関する言明と融合させるという実際的な指針
人間の心や意識は、脳の中でニューロンが信号を発し、あるパターンに則ってデータを処理しているだけである。
自由に選択することはなく、決定論やランダムに選択しているのである。