*[本]脳のなかの幽霊。
原題を直訳すると「脳のなかの幻」だが、「脳のなかの幽霊」と訳されているのは、、ケストラーの「機械のなかの幽霊」を踏んでいるからだそうだ。
本の註は専門的なことを一般的な読者にわかるように書いた際に、専門家に嫌がられないために追記したもの。
宇宙の星の軌道と脳のシナプスの神経構造が似ている。
精神病患者のような症例を、神経科学者である著者は、脳の損傷や障害によって起きているのではないかと考え、その仮説を解明している。
ほほえみには、にっこり(自発的ほほえみ)と作り笑いがある。
この二種類のほほえみが違うのは、それぞれを扱う脳の領域が異なるからである。
にっこり(自発的ほほえみ)は、大脳基底核によってつくられる。
ほほえみに値する情報が脳の情動中枢である大脳辺縁系に到達し、続いて、大脳基底核に中継される。この基底核が自然なほほえみを生み出すために必要な顔面筋の一連の活動をまとめる。この回路が活性化されると、ほほえみが本物になる。
一方、ほほえみを要求されると、脳の聴覚皮質や言語中枢を含む高次の思考の中枢に入って理解される。そこから熟練した随意運動を専門とする運動中枢に送られる。運動中枢は熟練していない運動を強いられ、不自然な笑いになる。
第2章
事故で腕を失った腕が痛む幻肢痛だけでなく、失った腕の代わりに「幻の腕」というのを感じられて、動かしたり物に触ったり掴んだりできるようになる。これは、皮膚の触覚という感覚神経が脳に入力される大脳皮質の側面表面の縦に細長いテープ状の部分で信号の「混信」あるいは「干渉」のようなものが起きているのが原因だと考えられる。
ペンフィールド、ホムンクルスの脳地図には、さまざまな身体部位が皮質上にマッピングされている。一次運動野の外側部は上から順に、尻、胴、肩、肘、手首、指、親指、まぶた、唇、顎と配置されている。大脳縦裂内に折りたたまれた運動野の内側部は脚部に相当する。
第3章
幻肢を感じることができるものの動かすことができない場合がある。これは、運動の指令を出す運動野という脳の部位と、それを割り当てる身体イメージというのがあり、それらの部分の脳機能が腕を失ったとき不整合が起きてフィードバックの仕組みが混信して狂ってしまうからだ。
そこで、片腕を失って幻肢を生じて動かせない患者のために、鏡を使って失った腕のかわりに残った腕で作った鏡像のイメージを見せて、幻視に視覚的にフィードバックをかける「バーチャルリアリティーボックス」を使うと、果たしてそのVRボックスは効果を上げ、半数くらいの患者は幻肢が動かせるようになった。
中国の医学で経絡(けいらく)というのがあるが、これは神経のつながりだけでは説明できない不思議な相互作用があり、手の特定のツボを刺激すると対応した特定の内臓の臓器の働きが活性化したりする。
第4章-143
目で物を見ても認識できないが、物を見せて「これは何ですか?」と問うと、まるで見えているかのように物に手を伸ばして物を取って触れて、見せたものが物だと答えられる。これを脳の中のゾンビと呼んでいる。
視覚は脳のなかに像を複写しているだけでなく、視覚対象物を神経インパルスという言語で記号化もしくは表象している。世の中は安定した物理的性質を持っているという事実を利用して、これらを一種の前提あるいは暗黙の知識として、脳の視覚野に取り込まれ、知覚のあいまいさを排除するために使われる。たとえば、点の集団がすべて同時に動いていたら、単一の物体に属していると判断できる。
人間の視覚は図形を認識する役割や動いている物体を認識する役割など、30種類ほど(動きを認識するMT野、色覚を認識するV4野など)の機能に分かれている。
30種類ほどの物をいろいろな特徴で捉える物体認識の経路は「何を」経路に含まれる。
「いかに」経路は、空間認識路で「どこ」経路とか行動視覚路とも呼ばれ、空間を認識して物体をつかんだり避けたりするためのナビ機能のような役割をする。
第5章
物体が部分的に見えない場合に、その見えない部分を自動的に補完したり充填したりする、視覚イメージの書き込み機能がある。この書き込み機能は眼球の網膜にある盲点を補う。また、幻覚というのは、書き込み機能とその経路の「混信」によって何か頭の中の物を想像するときに作られるイメージが勝手に視野に書き込まれて見えている。
第6章
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第7章
左脳は言語や知性・理性を司っていて、右脳は直感・連想や情動を司っている。そして、右脳は理屈やモデルを考え出すのに対して、左脳はそれを直感などで判定してブレーキを掛けたり否定したりする役割をしている。
第9章
大脳辺縁系を磁気で刺激すると神秘体験(神の存在を感じられるようになるとか、悟りみたいな感覚を得られる)を引き起こすケースがある。
第11章
心が偽りの妊娠を認識して信じてしまったとき、身体にもその作用が及んでしまう。
第12章
クオリア、つまり脳のなかの小さなゼリー状のもの(ニューロン)のなかのイオンの流れや電流から、赤いとか痛いとかいう主観的世界の感覚を生み出せるのか。クオリア、主観的感覚はなぜ進化したか。
日常生活には脳はない。ふつうの生活は脳のことなど考えないで進行するようにできている。
*[本]脳のなかの幽霊、ふたたび
タイトルだけ見ると「脳のなかの幽霊」の続編のようにも見える。しかし、前作に比べてかなり薄いのにかなりの部分が重複しているが、基本的には無関係。脳疾患の患者の症状やその他の実験結果等から、脳の働きについて考察している。たとえば、カプグラ症候群(家族や・親友などが替え玉に入れ替わっているという妄想を抱いてしまう)の原因を、視覚から入った情報が脳内でどのように処理されているのかという点から推測したり、幻肢(切断された手足の感覚があるように感じられる症状)を脳の解剖学的な構造から説明している。
ものをみると、眼のなかに、上下逆さまのゆがんだ小さな像ができ、それが網膜の光受容細胞を興奮させ、そのメッセージが視神経を通って後頭部に送られ、30ほどの視覚領野で分析される。いったん認識されると、そのメッセージは扁桃体(大脳辺縁系の入り口)という部位に送られる。
芸術の普遍的法則
1.ピークシフト
2.グループ化
3.コントラスト
4.単離
5.知覚の問題解決
6.対称性
7.偶然の一致を嫌う/包括的観点
8.反復、リズム、秩序
9.バランス
10.メタファー
クオリア(脳のなかの小さなゼリー状のもの(ニューロン)のなかのイオン)問題とは、意識的に主観的に感じたり経験したりする「質」のこと。一般に、夕焼けの赤い感じ、虫歯の痛みなど>