Coders at Workプログラミングの技をめぐる探求
L. Peter Deutsch
ParcPlace Smalltalk仮想マシンで私がやったのはジャストインタイムコンパイラだけで、サイズとしてはたぶん20パーセントくらいの部分です。C言語で数千行です。たぶん3千とか5千というところでしょう。
ここでのC言語は、High-C。いかにSmalltalkのVMが小さかったかを物語っている。ちなみ僕の記憶では全体で数千行だった。
彼はSmalltalkといってもVMのひとで、SmalltalkはSmalltalkなので、.sourceは日本語を通せるのですがVMがマルチバイトに対応していなくて、これを対応してもらうのが僕の仕事で、カウンターパートがPeterだった。
そして、彼がSunにいったことでJava VMが爆速になったのは自明なのです。この僕の仕事がJavaの日本語化に反映しているはずだと勝手に思っている。
ちなみに、初めての翻訳が1995年でKenneth S. RubinのOBAで、このときに翻訳を許可してくれたのが、peter deutsch(つまり、どっかにサインがある)。これがCマガへのデビュー。
pycoreっていまはどうなっているんだろう。
人月の神話の「セカンドシステム症候群」がとりあげられていた。
おじさんホイホイにartonさんと角さんがかかわっていたとは。
11章に限っては俺を監修(not 監訳)に呼べばよかったのに。
PARCのスピンオフであるParcPlace
→PARCのスピンオフであるParcPlace Systems
ちなみに、こうゆうことを指摘すると、わかったんだからいいじゃないかとかわいいくないことをいわれる。