真実の朝鮮史 663-1868
1231年 モンゴル帝国の高麗への侵攻
1259年 高麗の太子(元宗忠敬王)がフビライに降伏
1270年 三別抄の反乱
三別抄が済州島に立てこもる。
1374年 恭慇王が暗殺され、ムニヌが即位する。
1388年 親明派の武将李成桂がクーデター
1392年 李成桂が高麗の恭譲王から王位を簒奪、高麗王に即位
1393年 明より李成桂が権知朝鮮国事に冊され、国号が朝鮮となる。
1419年 応永の乱
秀吉は刀狩りと検地以外に惣無事令を出していた。
これは天皇の名前で北条と伊達に上洛を促した。
海賊停止令も出している。停止は「ちょうじ」と読む。
1627年 丁卯胡乱
後金のホンタイジ(清の太宗)が朝鮮に侵攻。
胡とは、漢族が北部や西部の異民族に対して用いていた蔑称。
1636年 丙子胡乱
→三田渡碑
鎌倉幕府成立が「いい国つくろう」ではなくなった理由
征夷大将軍を頂点とするものが、幕府を司るものであると考えていたため、その将軍が誕生した年が鎌倉幕府の成立した年とされていた。
日本全国に守護、荘園や公領へ地頭を設置するなどして、幕府の当地基盤を整えた年を鎌倉幕府の成立した年に変えた。
源氏の四代目将軍
七代将軍、惟康王(後嵯峨天皇の第二皇子宗尊親王の長男)は、源姓が賜与されて「源惟康」である。
大陸は職人を蔑む文化
あとから来た人が文化をつぶしていくので、文化が劣化していった。
日本が舶来を大切にするのは、外から立派な人が来たから。
沖縄のニライカナイ信仰
敵国降伏は、魔力をもって悪魔を退治するのでごうぶくと読む
元寇一回目も神風で勝ったといいだしたのは、
「元寇は北条で勝ったから、次は東條だ」と言い出したころからだ。
モンゴルは正面で射るときは遠く離れて基本的にはすれ違った後に振り向きざまに
日本は降りてから射る。
流鏑馬はデモンストレーション
岩倉使節団は図書館と博物館を持ち帰ったが、文書館(アーカイブ)は持ち帰らなかった。
アーカイブとは文書管理のことです。
博物館→実物資料
公文書館→非定型的文書資料
図書館→出版物
真実の朝鮮史 1868-2014
鎖国時代
オランダ・清を「通商国」(国交を結ばないものの貿易は承認)とした。朝鮮・琉球を「通信国」(国交を結び、貿易も行う)とし、朝鮮からの通信使、琉球からの慶賀使・謝恩使を迎えた。アイヌとも交易を行った。
宮古島島民遭難事件
清政府が「台湾人は化外の民で、清政府の管理下ではない」と責任を回避したため、日本は犯罪捜査を名目に軍を派遣することになります。これを「台湾出兵」といいます。
江華島事件も同様。
李氏朝鮮王朝時代には、良民(両班、中人、常民)と賤民(奴婢、白丁)に分けられる朝鮮王族以外の身分階級の最上位に位置していた貴族階級に相当する。