本書で書かれている内容について明らかに間違っていると思われる部分は修正してある。
1783年、イギリスのアメリカにおける13植民地が独立戦争に勝利して、「アメリカ合衆国」として独立した。
13の邦は連合規約を結んで地方分権的性格の強い緩やかな連合組織である諸邦連合 (the United States of America) を形成した。
1787年、ジョージ・ワシントンが憲法制定議会の議長となる。
連合規約下の大陸会議議長ジョン・ハンソンが初代大統領という説もある。
ブラーデンスバーグの戦いでの敗北により、大統領官邸はイギリス軍による焼き討ちにあい、
焼け残った外壁を使って官邸を再建し、この時焼け焦げた外壁を白く塗装したことから「ホワイトハウス」と呼ばれるようになったという説がある。
1814年12月24日、ベルギーにてガン条約が結ばれて米英は講和し、米英戦争は終結した。 この条約締結後、アンドリュー・ジャクソン率いる民兵軍がニューオーリンズでイギリス軍を撃破した(ニューオーリンズの戦い)。
「西部開拓」の名の下、インディアンへの民族浄化を行なった。
北部のアメリカ合衆国と合衆国から分離した南部のアメリカ連合国の間で行われた内戦である。奴隷制存続を主張するミシシッピ州やフロリダ州など南部11州が合衆国を脱退してアメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまったその他の北部23州との間で戦争となった。
実態は奴隷解放ではなく、南部の連邦離脱を阻止する北部と
19世紀半ばの世界の大国は、イギリス、ロシア、フランス、オーストリア、プロシアであって
アメリカは衰退したオランダと肩を並べる程度
「焼くぞ!」
「なるほど我々はカナダにはそれほど陸軍はおいていない。しかし、その気になればニューヨークもボストンも灰にできることを君たちはお忘れではないか。」
https://office-kurayama.co.jp/?p=1656
ペリーが来ることはオランダより知らされていた。
ロシアとアメリカが開国を求めてきた際に、最初にイギリスやロシアと結べば、
飲み込まれて植民地にされてしまうと判断し、
そこでほどほど小国であるアメリカを選んだのであって、脅されたからではない。
アメリカより日本のほうがハワイに近い。
アメリカに対抗したいカラカウア国王は、赤坂離宮で明治天皇と会談した際に姪のカイウラニ王女(当時5歳)と依仁親王(当時13歳で山階宮定麿王と呼ばれていた)との縁談を
提案。国力増強に努めている明治新政府にはそこまでの余力はないとして断った。
米西戦争でスペインを破ったことで、太平洋の地域大国として認められた
高平小五郎
桂・ハリマン協定にまつわる誤謬
ハリマンの契約を電報一方で破棄したのは、
ハリマンからの融資の条件よりも、モルドンとの条件がもっと有利な条件で外資が導入できそうだったから。
ウィルソン大統領をフロイトは任期の初期は人格異常者、最後は精神障碍者と診断している。
石井菊次郎
アメリカはベトナム戦争でもイラク戦争でも宣戦布告はしていない。
ハル・ノートはハリー・ホワイト米財務次官補が作成し、彼はソ連のスパイであった。
マッカーサー神社
マッカーサー神社を建立しようとの動きがあり、建立の発起人として、秩父宮両殿下、田中耕太郎(最高裁長官)、金森徳次郎(国立図書館長)、野村吉三郎(開戦時駐米大使・大映社長)、本田親男(毎日新聞社長)、長谷部忠(朝日新聞社長)などが名を連ねた。
しかし、マ元帥が米議会で、「かりに科学、宗教・文化の点でわれわれを45才とすると、ドイツも同様に成熟しており、ナチスの犯罪は故意である。日本人は、歴史は古いが、現代文明の基準で言えば、12才の少年だろう。・・・・・なお柔軟で、新しい考え方を受け入れられる。」と演説を行い、ポシャル。そして、ウヤムヤになった。
ニューディーラー
フランクリン・ルーズベルト政権によって展開されたニューディール政策を経験し、社会民主主義的な思想を持つ人々
ニューディーラーは、日本人の家畜化と⺠族的抹殺を考えていました。「学校給食」と称して日本人に豚の餌を食べさせたのも彼らですし、「二度と工業国に戻すな、農業国でも贅沢だ」
GHQの民政局にはニューディーラーが多かった。
つまり、ソ連のスパイがいた。
このGHQ民政局のチャールズ・ルイス・ケーディスは鳥尾子爵夫人不倫関係に陥ち、
半強制的に帰国を命じられる。
マッカーサーは日本は共産化するくらいがちょうどいいと考え、
アメリカの第二次世界大戦への参戦はヒトラーから東欧を取り返すのが目的だったが、
東欧はすべてソ連に支配された。
逆コース
日本を共産主義の防波堤にしたいアメリカ政府の思惑でこの対日占領政策は、
日本を共産主義の防波堤にするために、レッドパージ、社会主義運動を取り締まるようになった。これを逆コースと呼ぶ。
マッカーサーの1951年(昭和26年)5月3日、米国上院軍事・外交合同委員会での証言
それまでの主張を180度逆転し、東京裁判での東条英機元首相の日本は「自衛のために戦った」「あの戦争は米国が仕掛けた」という『宣誓供述』を認めたのである。
→これは朝鮮戦争によって、朝鮮半島が敵対的になれば日本列島の安全は保障されないという事実を体感したから。
日露戦争に学んでいたなら、38度線ではなく守りやすい39度線にしていた。
人民解放軍は地雷原に向かって突撃し、地雷が爆発しなくなったら、戦車で攻勢を仕掛けた。
イギリスジョーク
・It's an Irish Question.
→それは難解な問題だ
・Dutch is Dutch.
→ダメなものはダメ
・He is a Good American.
→お利口さん
ケネディは、有名な「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」という演説の後に、 乱交パーティを開催してたことは語られない。
キューバ危機の際にソ連がキューバから核ミサイルを引きあげる代わりに
アメリカはトルコに配備していたミサイルを撤去した。
フォード大統領
スピロ・アグニューが副大統領を辞任した後、大統領の指名と上下両院の承認を得て副大統領に就任した。これは史上初のケースである。さらに翌1974年にはリチャード・ニクソンの大統領辞任を受けて、大統領に昇格した。
大統領選挙に勝利して選出されたことのない唯一のアメリカ大統領である。
ソ連崩壊
・ヨーロッパピクニック
オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇太子であるハプスブルク=ロートリンゲン家当主のオットー・フォン・ハプスブルクが、チェコ、ハンガリー、東ドイツと、
ピクニックし、それにともない人々も西側に向かって大移動した。
・ベルリンの壁崩壊
・ソ連崩壊
アメリカ民主党最左派に属するキリスト教原理主義的色彩の強い集団であったが共和党にも入り込み、
世界をキリスト教化するとしている