軍忠状には、逆茂木、垣楯、乱杭、鹿垣といった防衛手段が書かれているので、当時の戦い方の一端を知ることができる。
西暦1333年~1387年 南北朝期→弓矢が支配した時代
戦死者54人 負傷者606人
矢傷・射傷500人、86.08% 切傷56人、9.64% 石傷・礫傷15人、2.58% 槍傷・突傷9人、1.55% その他1人、0.17%
西暦1467年~1561年 戦国前期→鑓が普及した時代
戦死者60人 負傷者747人
矢傷・射傷457人、61.18% 槍傷・突傷140人、18.74% 石傷・礫傷121人、16.20% 切傷24人、3.21% 刀傷・太刀傷5人、0.67%
西暦1563年~1638年 戦国後期→鉄砲全盛期の時代
戦死者239人 死傷者825人
鉄砲傷・手火矢傷373人、45.2% 槍傷・突傷170人、20.61% 矢傷143人、17.33% 石傷・礫傷74人、8.97% 刀傷・太刀傷53人、6.42% 薙刀傷7人、0.85% 切傷3人、0.36% その他2人、0.24%
西暦1467~1638年 戦国全期
死傷者1572人
矢傷・射傷600人、38.1% 鉄砲傷・手火矢傷373人、23.73% 槍傷・突傷310人、19.73% 石傷・礫傷195人、12.40% 刀傷・太刀傷58人、3.69% 切傷27人、1.72% 薙刀傷7人、0.45% その他2人、0.13%
死傷例
戦国前期→もっとも多いのは矢疵
戦国後期→目立つのは鑓疵、刀疵
桶狭間の戦いは奇襲ではなかった
日本人の戦い方
・騎馬主体から徒歩主体へ
・白兵志向から遠戦志向へ
・個別戦闘から集団戦闘へ