中国の建国は1949年たかだか建国60年
中国何千年の歴史は大陸に人が住んでいたという記録に過ぎない。
それも焚書したり、前の時代の歴史をあしざまに書いた記録。
平和の最長は清朝の百年
ワシントン会議当時(1922年)、
中国の領土は清の最盛期ではなく、明の範囲でしかなかった。
それも軍閥が牛耳る北京政府と孫文が江南の勢力と合同して建てた広東軍政府とがあって対立していた。
リットン報告書は実質的に日本の権益を認めている。
十五年戦争は15年ではない
→1931年の柳条湖事件勃発から1945年のポツダム宣言受諾までの足掛け15年(実質13年11カ月)
満州事変から盧溝橋事件までの4年間は大規模な軍事行動が行われていない。
満州は当時の世界六十か国のうち二十一か国が国家承認した。
→軍事を国策の最優先事項とする状態
→党が国家の上位にある体制
大政翼賛会を作るために全政党が解散したときに、グルー駐日アメリカ大使は「政党がひとつもなくなってファシズムはできない状態になった」と日記に記している
事変は宣戦布告していない状態。
宣戦布告がないと戦争ではないので、味方、敵、中立が区別できず、中立国宣言できない
大山中尉殺害事件を断行した中国国民党第9集団軍司令官張治中はソ連スパイ
虐殺
→理由もなく、むごたらしく殺された状態
→人数は関係ない
→南京の人口は20万人
ラーベの感謝状
http://kk-nanking.main.jp/mondai/rabe.html
岡村寧次
蒋介石が台湾に逃げ込み、中国国民党政権(外省人:在台中国人)による、
本省人(台湾人と日本人)への弾圧・虐殺の引き金となった事件