「人間はその思考を実現できるように作られている」
言葉の萌芽が石器の分化と並行していた。
住居や衣服の発生が知的言語の基礎とつながっている
死骨に対する信仰や埋葬の慣習が一種の内言語を促していた。
旧人から新人にいたって社会組織的がめばえ、そこに「リズムの進化」や「時空の構造化」という特質があった。
これらの一連の知的な技能の大元に「共生の意思」「交換の利得感」「種から収穫にいたる周期性に対する感謝」などが踵を接して育まれていった。
定住と遊牧の分化による格差が階級や階層をつくっていった。
そのなかで運動機能に長けたものから表現技術の飛躍がおこり、詳察機能が得意なものによって図示表現の飛躍がおこった。その図示表現の一部から書字能力が拡張していって、それが爆発的に言語能力を複雑にしていった。
民族のそれぞれがもつ価値観には必ずやリズムと身体の関係が埋めこまれている。
道教と仏教の結びつきが現世の円環的リズムから脱却するための方向をつくった。
人間がまわりの世界を知覚するには2つの方法
・動的に空間を意識しながら踏破する
・静的に未知の限界まで薄れながら広がっていく輪を自分は動かずに次々に描くこと→世の中には「巡回する道筋によって得られる世界像(循環的世界像)」と、「2つの対比する表象によって得られる世界像(対比的世界像)」とがあって、オオカミの世界認識にもマンダラによる世界認識にも共通する。
「人類に残された最後の資源は想像力だ」
想像力の選択枝
・多くの人間が結果を知らないで考えている技術(たとえば原子爆弾)に自分たちを委ねることをやめ、もっともっと結果がわからない人間そのものに未来を賭けたらどうなのか。
・人間も地球もいずれ終末を迎えるのだから、いまのうちにその終点からすべてを逆算して考えてみたほうがいいのではないか。
・あらゆる技術が個人に向かっているのだから、個人の単位の中に少しずつ世界を注入できるようにして、集団や社会のことを忘れられる人工世界に未来を託す時代に期待するのもいいではないか。
・四足動物の歩行と把握の発達が人類の頭蓋や大脳皮質の発達を促した
四足の動物は直接食物を口で食べなければならないから、歯が頑丈でなければならず、 鼻面が重くなる。首の一点で支えられる頭の重さの大半は、この鼻面の重さであるから、 脳の発達は妨げられる。ところが人間が直立位を獲得して手が食物を手ごろな大きさに分ける仕事にかかわるようになると、不必要になった巨大な歯列は縮小し、顔が軽くなる。
また頭は、背骨と体全体によって支えられるようになるから、まず後頭部、やがて前頭部が発達する余裕ができる。解放された手は身振りを形成し、食物の咀嚼、嚥下の仕事からほとんど解放された口は、やがて身振りに伴う意味をもった発声、すなわち言葉の形成に 専心するようになる。
記憶の解放
大脳皮質の前からの皮質はそのまま存在しているが、前部に新しい統合装置がつけ加わってより高次な全体が形成され、統合装置は脳にとどまらず、次第に物として外化されていく(音声、書字、 本、カード、パンチ・カード、コンピューター)。