無理に儒教に結びつけなくてもいいのに
「社会が変わると伝統も変わる」
「国民(nation)とは、自然に実存するのではなく、「創造の共同体」である。それは歴史的に形成されたものに過ぎない。国民意識(Nationalism:民族意識)はそうした形で誕生しながらも、その存在を正当化するために構成員の一体感を養う装置を備えている。」
「皇族の宗教は神道だとされる。奈良時代から江戸時代まで、皇室の宗教は仏教だった。」
お田植えは昭和天皇から。
皇后による養蚕
明治四年に昭憲皇太后が宮中で養蚕を復活させたことになっているが、
万葉集の詞書にすぎず、当時の歴史書「続日本書紀」には載っておらず、
日本書紀の雄略天皇紀に記述されているだけで、史実かどうか不明。
そもそも蚕という虫を高貴な姫君上がりの歴代皇后陛下がされたのか。
さらに平安時代になると、天皇には清浄さが求められ、地面に身体が直接触れることはさら忌避された。虫をさなぎ状態のときに煮殺す点が禁忌に触れる。
家のなかに仏壇を設けて祖先の位牌を置く風習は江戸時代に始まる。
すなわち、寺請制度のもと、仏教信者であって切支丹ではないことを証明するために仏像を家庭内に安置し、その仏壇に位牌を置いて、常に灯明をあげ供物を捧げるようになった。
「践祚当日の改元ではなく、踰年(ゆねん:新天皇が即位した翌年の元日から新たな元号を適用する方法)にすべきだ」
目次
はじめに 007
はじまりは「おことば」
天皇をめぐる諸制度は明治時代に改変された
創られた伝統
「日本」の自明性を疑う
各章の構成
本書の立場について
〈巻頭コラム〉本書の内容をよりよく理解するための儒教の基礎知識 023
第一章 お田植えとご養蚕 035
お田植えは昭和天皇から
『古事記』にみる養蚕
皇后によるご養蚕
ご養蚕の現況
大名たちのお田植え
中国の籍田と親蚕
水戸学の祭政教一致論
三つの「嘗」
第二章 山稜 073
大王古墳と皇帝陵
江戸時代の山陵治定
神武天皇陵の治定
橿原神宮新設
中・近世における皇陵の扱い
豊臣秀吉と仁徳天皇陵
神武天皇陵の治定と修築
物議を醸した後藤のコラム
集団移住
葬制――土葬か火葬か
第三章 祭祀 109
祈年祭と皇霊祭
中国の祈穀祭祀
時令の聖典、『礼記』の「月令」
祈年祭の源流・祈殻
おごれる者たち
郊=郊祀=祈穀祀
経学のなかの祈穀郊祀
祈年祭の盛衰
維新期の祭祀復興
宗廟で祀られる祖先の代数
経学論争
筆写過程の間違い
『古文尚書』咸有一紱篇
十陵四墓制
『西宮記』現行本の記述
中国の宗廟制度を意識
陰陽思想と廟陵
勅祭社
彼岸の起源
皇霊殿の創設
春季皇霊祭・秋季皇霊祭の誕生
儒式借用による仏式からの離脱
天智天皇から神武天皇へ
第四章 皇統 181
歴代天皇陵一覧
明治三年の諡号追加
南北朝正閏問題
喜田貞吉の憂鬱
第五章 暦 211
七夕の思い出
太陽暦と太陰太陽暦
閏月挿入の珍例
改暦の歴史
明治六年改暦
第六章 元号 237
元年春王正月
元号創建事情
歳首問題
大化元号
祥瑞改元から災異改元ヘ
九世紀東アジアは一世一元の時代
災異改元と革年改元
一世一元の採用
江戸儒者の提案
明の一世一元採用
より詳しく知りたい人へ [307-311]
おわりに(平成三十年 穀雨の日に 小島毅) [313-315]
