akon2.00βのよっぱらいの戯言

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哲学な日々

 

面白い。難しくない。

パラパラまんが風のイラストもよい。

 

立ち止まって自分を問い直す

立ち止まるというは脚力が必要

 

禅は足し算ではなく、引き算

自分をゼロの状態に立ち返らせる

痛みを我慢するのではなく、まるごと受け入れる

 

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

は、バシャバシャ水を叩くのではなく、体から力を抜いて身を投げ出せば、自然に体が浮いてくる

ではなく、

Nothing venture, nothing gain(リスクなきところに利益なし)

一身を捨ててかかってはじめて成功するものだ

という意味。

がんばれ、力を出せ、ではなく、がんばるな力を抜け

 

鎌倉の大仏は、お釈迦様ではない。

高徳院浄土寺なので阿弥陀如来

奈良の大仏は、お釈迦様でも阿弥陀さまでもなく盧舎那仏

 

神様なんて信じていないのにお願いごとをするというのは

「私ではどうにもならない」と頭を下げること。

努力すればなんとかなるというのは勘違いであり、傲慢。

神社という場でその傲慢を振り払い、人生のままならなさを受け入れる

 

日本語は俳句のように接続詞を嫌っている

谷崎潤一郎は、「接続詞を多用するから文章が安ぽくなる」と「文章読本」で述べている

 

おいしいものを食べても「やばい」

まずいものを食べても「やばい」

 

ほめられて育った子は、ほめられるためにがんばるようになる。

達成感をうれしいとは思わない。

ほめるのではなく、一緒に喜ぶ。

 

高みから語られる余裕の言葉など、哲学に期待しないでほしい。

哲学者たちは、いくらでも踏み間違う可能性のある未踏の地を、一歩ずつ探りながら進もうとしている。その歩みをこそ、見届けてほしい。

 

哲学は「もやもや」を直視し、「すっきり」しょうとすること

 

バラは暗闇でも赤いか

 

宗教とは、人間が無限なるものを前に、自分の有限性を自覚するところに生ずる。

一見宗教には見えないけど実は宗教と呼ぶべきものに、「マルクス主義」と「無限なるものに対して、目を閉ざしてしまうこと。つまり、寝てしまうこと」

 

「考える」という行為は、実際には何か特別な動作を行うわけではなく、むしろ「待つこと」である。考える際には、問いを持ちながらその答えが自然にひらめくのを待つ。哲学においても同様であり、答えを見つけるためには長い時間をかけて問いを持ち続け、答えが現れるのを待つことが必要。

論理的に考えることも重要だが、論理は考えることとは違う。論理は、問題を整理し、分析することで、問いを明確にする働きをする。その論理をもとに、あとは「待つ」。この「待つ」作業が考えるということ。