面白い。難しくない。
パラパラまんが風のイラストもよい。
立ち止まって自分を問い直す
立ち止まるというは脚力が必要
禅は足し算ではなく、引き算
自分をゼロの状態に立ち返らせる
痛みを我慢するのではなく、まるごと受け入れる
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
は、バシャバシャ水を叩くのではなく、体から力を抜いて身を投げ出せば、自然に体が浮いてくる
ではなく、
Nothing venture, nothing gain(リスクなきところに利益なし)
一身を捨ててかかってはじめて成功するものだ
という意味。
がんばれ、力を出せ、ではなく、がんばるな力を抜け
鎌倉の大仏は、お釈迦様ではない。
神様なんて信じていないのにお願いごとをするというのは
「私ではどうにもならない」と頭を下げること。
努力すればなんとかなるというのは勘違いであり、傲慢。
神社という場でその傲慢を振り払い、人生のままならなさを受け入れる
日本語は俳句のように接続詞を嫌っている
谷崎潤一郎は、「接続詞を多用するから文章が安ぽくなる」と「文章読本」で述べている
おいしいものを食べても「やばい」
まずいものを食べても「やばい」
ほめられて育った子は、ほめられるためにがんばるようになる。
達成感をうれしいとは思わない。
ほめるのではなく、一緒に喜ぶ。
高みから語られる余裕の言葉など、哲学に期待しないでほしい。
哲学者たちは、いくらでも踏み間違う可能性のある未踏の地を、一歩ずつ探りながら進もうとしている。その歩みをこそ、見届けてほしい。
哲学は「もやもや」を直視し、「すっきり」しょうとすること
バラは暗闇でも赤いか
宗教とは、人間が無限なるものを前に、自分の有限性を自覚するところに生ずる。
一見宗教には見えないけど実は宗教と呼ぶべきものに、「マルクス主義」と「無限なるものに対して、目を閉ざしてしまうこと。つまり、寝てしまうこと」
「考える」という行為は、実際には何か特別な動作を行うわけではなく、むしろ「待つこと」である。考える際には、問いを持ちながらその答えが自然にひらめくのを待つ。哲学においても同様であり、答えを見つけるためには長い時間をかけて問いを持ち続け、答えが現れるのを待つことが必要。
論理的に考えることも重要だが、論理は考えることとは違う。論理は、問題を整理し、分析することで、問いを明確にする働きをする。その論理をもとに、あとは「待つ」。この「待つ」作業が考えるということ。
