三部作の位置づけ
「なぜ世界は存在しないのか」:
最初の書籍で、世界を単なる意味の場として捉え、それがどのように存在するかを問いかける。
「「私」は脳ではない」:
自己と意識をテーマに、脳が精神を決定するとは限らないことを主張し、人間の自由を擁護する。
「考えるという感覚/思考の意味」:
「考えること」が、視覚、聴覚、触覚などと同様の感覚であることを論じ、思考の真髄を明らかにする。
神経中心主義
精神生活は脳と同一視でき、人間を神経ネットワークに置き換えることができる。
コスモポリティックなビジョンを持たない政治は、モダンではなくプレモダン。
ポストモダンは存在しない。
したがって、プレモダン的な行動様式への退行を経験している。
序論
・自己意識
周囲の世界にある物や、印象や体験(及びそれに伴う感情)だけを意識するのではなく、「意識していることを意識する」。
・イマヌエル・カントの哲学の役割
「学校概念」→議論を戦わせて専門用語を開発する。
「世界概念」は人間像を求め、思索し続けて得た結果を公共に向けて広く理解してもらうように努める、という義務。「啓蒙」。
Ⅰ 精神哲学では何をテーマにするのか?
・「実存主義」
人間はまず存在するのものとしてそこにあり、その後、どのような自分であろうとするのかを常に考えながら行動しなければならず、そのことが人間を全ての生き物の中で際立たせている、と考える。
ジャン=ポール・サルトは、自己の存在と関連づけて行動するということを、私たちの「本質」と名付けた。
・サルトル曰く「実存は本質に先立つ」。
・ネオ実存主義
ある人のある行為を理解するには、その人の人生構想(サルトル曰く、「投企(Projekt)」)を理解しなければならない。「投企」の本質は、それなりに有意義な個々の行為だけでなく、さまざまな行為の中から自分の人生を有意義にするかについての普遍的なイメージの範囲内で「行為」を「選択」することにある。
○行動すること。
Ⅱ 意識
・「命題的態度」
ある事実に対してとる「精神(ガイスト)」の態度。
・言語哲学では、真か偽かのどちらかになるようなメッセージの内容が「命題」と呼ばれ、「・・・ということ」という従属節で構成される。
・人間の「精神(ガイスト)」の本質とは命題的態度を取る能力のこと。
・「二重の偶発性」
人間は常に他者が自分に対して抱いていると考える信念とすり合わせながら自分の信念を育むということ。
・利己主義を通して利他主義は存在可能になる。純粋な利己主義・利他主義はない。(中略)利己主義はそれ自体悪ではなく、利他主義はそれ自体善ではない。どちらも行動を倫理的に見る場合の側面であり、相互に必要とされている。バランスが肝。
Ⅲ 自己意識
・マルティン・ハイデガーは、「等根源的」という言葉を発明。他者も意識しているという意識は、我々自身の意識と同じくらい根源的な事実。自己意識は自身だけに向けられているのではなく、他者の意識とも構造的に結びついている。
○他人の目を気にすることなく生きることはできない、と。だからこそ、取捨選択も必要。
Ⅳ 実のところ「私」とは誰あるいは何なのか?
・神話の形成は自己認識から逃げるための典型的なやり方。
・「私」は哲学的概念であり、自分自身を描写する中で機能を果たし、自己イメージに属す。この描写に取り組み、一貫性のある自己イメージにまとめ上げられるかどうかが大切。
・「私」が導入されたのは、「良くふるまうとは、あるいは悪くふるまうとはどういうことか」を理解しやすくするため。
Ⅴ 自由
・ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツの「充足理由の原理」。
何事も(それが起きるのを)充足する理由なくしては起こらず、このことが自由意志という難しい問題の背後には潜んでいる。何かが起きるなら、それが起きる一連の理由がある。
・カントによる「尊厳と価値の区別」。
価格がある物には等価の別のものを当てることができる。対して、あらゆる価格を超越しているものには(内なる価値としての)尊厳がある。(中略)私たち人間に尊厳が与えられているのは「目的の王国」に住んでいるから。
・「目的の王国」
人間の行為を理解しやすくするために用いられる概念の体系的結合。友情、裏切り、贈り物、連邦大統領、著作権、搾取、疎外、イデオロギー、革命、改革、歴史など。
・上に向かう野蛮化。神を「私」の理想とし、神のようになりたいと欲する。下に向かう野蛮化。過激ダーゥイン進化論に感染して、人間の行為は全て進化生物学の手法で完全に説明できると信じる。
○上に向かう野蛮化の中に「神経(ニューロ)中心主義」が。下に向かう野蛮化には、いわゆる「本能」至上主義?
・近代は解放幻想にいそしんでいる。それに対して精神の自由の名において抵抗しなければならない。真の進歩は、精神と人間の克服という欺瞞的な理想にあるのではなく、倫理と権利の秩序を洞察し、改善すること。
・自由の本質は、自己イメージを概念と倫理に照らし合わせて歴史的にも社会的にも重要性を持つように作り上げることにある。
○「自由」じゃなく、与えられ、操られている方が楽だということに「野蛮化」は収束された考えだと理解しました。それでは進歩は望めないと。自由には責任も伴いますから。
