→武則天が天皇・皇后という称号を天皇・天后と変えたことに学び採用した。
天皇・皇后が採用される以前のヤマト政権の大王たちは、オオキミ、スメラミコトと呼ばれ、漢字が渡来してからの表記文字は大王。
継体天皇前後まで登場してくるスメラミコトの名は淡海三船が和名から創作した。
ワケ系王朝→応神天皇から。河内
ヲホド→継体天皇から。高槻。今城塚古墳はヲホドの墳墓。
大和川水系の上流にいたイリ系王朝が大和政権を支配していたが、なんらかの理由で衰退し、下流域の豪族が政権を掌握して、ワケ系王朝となった。そして、ワケ系王朝も衰退し、ヲホド王の一族に政権を託した。
一方、王朝輪番制論もある。
いずれにせよ、現代の皇室とつながるのは、継体天皇から。
継体は応神の五代の孫とされているが、後世の創作。
蘇我氏は葛城地方の豪族。
廃仏論争→蘇我氏に味方するとお寺や仏具をつくる仕事が回ってくる。
倭王武から南朝の皇帝へ献上された上奏文がみごとに完成された漢文で書かれていたのは、楽浪郡にいた中国人を採用していたから。
厩戸王という皇族の臣下は存在したが、摂政でもなく、天皇を継承する皇太子で聖徳太子は存在しなかった。
しかも、摂政という官職が中国から日本に伝わったのは、推古天皇の時代より後。
無位無官の厩戸王は政治にかかわれない。
日本書紀の制作過程で、冠位十二階や憲法十七条などあまりに馬子の業績が大きく多彩なので、新興の藤原氏の業績が影が薄くなるので、聖徳太子を創作した。
日本書紀の大化改新の記述内容には疑義があるので、大化改新とは呼ばずに乙巳の変と呼ぶ。
1967年12月、藤原京の北面外濠から「己亥年十月上捄国阿波評松里(己亥年は西暦699年)」と書かれた木簡が掘り出され郡評論争に決着が付けられたとともに、日本書紀のこの部分は編纂に際し書き替えられていることが明確となった
改新の詔
豪族による私有地を廃止し、公地公民制の実施となっているが、私有地は存在していた。
また、大化改新の有名な場面は、日本書紀や藤氏家伝の原史料の段階で作られた創作であると考えられる。
軽皇子首謀者説
中臣鎌足・中大兄皇子は反乱蜂起した一団の一部にすぎず、軽皇子が変の首謀者だという説がある。。変後の孝徳政権の中枢をしめた蘇我石川麻呂と阿倍内麻呂が、軽皇子の本拠地であった難波周辺に勢力基盤を持つか何らかの縁があったこと、また変後に難波に遷都(難波長柄豊崎宮)したことなど。
近江大津宮への遷都
唐との戦争を想定しての防衛策とされていたが、ヤマトの地が唐に占領されたという説がある
狩猟民族の胡服を採用し、机やいすを整えた。
本紀(皇帝の事績)、志(地方の歴史)、世家・列伝(臣下の歴史)、表(年表)で、
持統はすべて作りたかったが志として風土記(五か国)をつくり、不比等は紀をつくった。
結局、日本書の「紀」だけが完成したので、日本(書)紀となった。
清盛と博多
貨幣経済を始めたのは清盛。
博多で宋と交易し、宋に余っていた銅銭を輸入した。
支払いには奥州藤原の砂金をつかった。
それまでの和同開珎や富本銭は通貨がある文明国だと中国に示すためのもので、流通していなかった。銅銭を大量に鋳造する技術も銅そのものも生産できなかった。
鎌倉の大仏様は宋銭を溶かして作成された。
yoritomo-japan: 銅銭(宋銭)で造られたのか?鎌倉大仏
頼朝が一命をとりとめたのは、敗死した一族の菩提を弔うために子孫を残すという中国の礼法によるもの
南北朝正閏問題
光圀は水戸藩水戸徳川家の公式事業として始めた大日本史編纂事業のなかで、「南朝が正統」という基本方針を定めた。
これをもとに、明治政府は、楠木正成を英雄とし、足利尊氏を逆賊とし、矛盾しないために、南朝を正朝とした。
10代義稙→細川政元によって12代義晴にすげかえられる
12代義晴、嫡男13代義輝→細川晴元の傀儡
14代義栄→三好の傀儡
15代義昭 →信長の傀儡
ネーデルランド(オランダ。オランダと通じるのは日本だけ)→プロテスタント
日本が鎖国の手本にしたのが中国の海禁
鎖国という言葉は、ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルの著書『日本誌』を、長崎の通詞である志筑忠雄が1801年に翻訳した際に「鎖国論」として紹介して以来。
当時の日本の金銀の産出量が減っており、交易対象にならなかった。
フランス革命で当時のヨーロッパで王朝国家ではなく、唯一の市民国家にフランスはなった。
明治以降に作られた皇室の行事
→江戸時代までは田植えも稲刈りもしていなかった。
→高御座も。
防衛費の八割は人件費と過去の契約の支払い
→兵器ローン
既に防衛費の半分を占める「兵器ローン」 ますます借金しやすくする法が成立、防衛費全体が膨れ上がる恐れ:東京新聞デジタル
米軍の基地がある国
http://www.peacedepot.org/wp-content/uploads/2021/11/beigunkaigaikiti.pdf
