青谷上寺遺跡
・32個体のうち31個体が渡来人系
・1固体のみが縄文人系
築造年代は、墳丘周辺の周壕から出土した土器(土師器)の考古学的年代決定論と、土器に付着した炭化物による炭素14年代測定法により、邪馬台国の卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀中頃から後半とする説がある。一方で、近年炭素14年代測定法では、実年代より50-100年程度古く推定されることが明らかとなっていることや、古墳の規模および様式が魏志倭人伝の記述と異なっていることなどを理由に、4世紀中期以降とする説もある。
現在は宮内庁により倭迹迹日百襲姫命の「大市墓」として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命(『日本書紀』の表記。『古事記』では夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)命)とは孝元天皇(崇神天皇の祖父)の異母姉妹である。大市は古墳のある地名である。
考古学の世界では、大正期から邪馬台国畿内説を唱えていた笠井新也により「女王卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命」説が提唱され、後に「箸墓古墳=卑弥呼の墓」説へと進展、今日の議論にも繋がる先駆的研究となった[12]。
