勝者の嘘は歴史になり、敗者の真実は神話になる
日本書紀には
・日本海側の古代史がほとんど記載されていない。
→日本海側(対馬・壱岐・丹後・敦賀など)は実際に古代海洋王国や交易港が存在し繁栄していた
・冬場の行軍が難しいのに、頻繁に軍を派遣している
・なぜ、アマテラスの信仰に触れないのか
→対馬などで古代から海の安全を祈る太占やアマテラス信仰があった
→、『日本書紀』の編纂者(実質的には藤原氏)は、自らの正統性、権力基盤を強調するため
八つのお願い
・船でしか移動できない国土
・日本の海には特殊な厳しさがある
→季節と天候を選ぶ必要があった
・日本海と瀬戸内海のスケールの違い
・多くの民族をつないだ海流
・船旅には水の確保がカギとなる
・文字のない時代の記述はほとんどが作り話
・空飛ぶ神は偽物の神
・古代の技術
「日本書紀」編纂に隠された書き換えや意図
日本書紀が上奏された時代。
蘇我氏が滅亡
十字軍が始まる400年前
大航海時代が始まる800年前
唐の玄宗皇帝が即位
シルクロードを通じた東西交易が盛ん
対馬が「泡」の国と呼ばれる理由
「渡しの神」とは、船を助けて次の目的地に渡してやる、地元の海人集団
日本書紀は唯一の王権はヤマト王権だと主張し、海洋王国を否定するために藤原氏が作った。
つまり、王国を築いていた対馬、出雲、丹後、敦賀、近江を矮小化して、自らだ唯一の支配者と記述した。ただし、「渡しの神」のいた壱岐と対馬を無視できず、国生みに選ぼうとして、「泡」という文字を入れ、洲(国)から外した。
海幸彦・山幸彦の物語は対馬にあった
天の岩戸侵攻は壱岐にあった。
アマテラスとスサノヲの誓約で生まれた神々
田心姫
月読尊
出雲
熊野櫲樟日命
丹後
火明命
近江
活津彦根根命
神功皇后の九州遠征
博多湾から太宰府まで住吉神社という中継点をつくり、水運路を支配したかった。
日本書紀には卑弥呼の記載がなく、卑弥呼を神功皇后に比定している。
瀬戸内海から九州のほとんどの港を住吉三神の港にした
倭の五王は出雲にいた
。
第6章 虚構から現実の歴史に――継体天皇の淀川凱旋
継体天皇の歴史が虚構から現実へと移る過程と、実際の技術・交通の背景に迫ります。
11代から24代まで、欠史ではなく、畿内と尾張の豪族で天皇を持ち回りした。
継体は敦賀から三国に移動するのは無理がある。
藤原氏は、蘇我氏の祖先の業績を継体や応神の業績にすりかえた。
琵琶湖王国→蘇我一族が支配していた
敦賀王国
伊勢神宮は
二つの神を内宮と外宮という形で祀るのは伊勢神宮だけに許されている。
都怒我阿羅斯等は蘇我氏
九州の西都原の巨大古墳群
日本書紀には古墳崇拝の技術はなく、古墳は日本海側の方が多い。
百舌鳥・古市古墳は水路で結ばれている。
この水路を作るために、土砂処理場として古墳が作られた。
