akon2.00βのよっぱらいの戯言

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回顧録

なんて歳ではないですが、ひがさんに触発されてかいてみる。ソーシャルネットワークの自己紹介には書きためているのですが、ゲームをやりたくて(つくりたくてではない)プログラムを組み始めました。当時インベーダーが上陸した頃で、ゲーセンでやっていてはおこずかいがなくなるので、困っていたら高校の助手がTK-80で作っていたわけですよ。Hitach-10というミニコンで、円周率を計算して遊んでいたのですが、紙テープと電動タイプライタしかI/Oがなかったのですが、TK-80をみたとは感動しました。これでただゲームができる。その延長戦で、コンピュータを自由に使わせてくると大学にはいりましたです。正確に言えると使える人がいないので自由に使わせてもらいました(うまく利用されたと言うべきか。たくさんJCLやプログラムかいてあげました)。自分ではポケコン(高校の授業は計算尺だったんです)を買ったのですが、前後してPC-8001(8Kのメモリが万円位だったような)がでて、いろんなゲームがただでできるんですよね。うれしかったですね。APPLE IIのグラフィックってやつにも感動しましたね。プリンタに簡単に円が術力できるんですよ。そんなこんなで、学内のコンピュータを使って遊んでいたら、ソード(いまは東芝)にいる河込師匠に遊んでないでバイトしないかと、誘われてプロへの道へ。CP/Mで動くBasicで開発するといろんなマシンで動作するんですよ。すばらしかったですね。マイクロソフトも罪なことをしました。あれで10年は歴史を遅らせましたからね。で、当時業界最大手という会社に、単に最初に内定が出たという理由だけで、入社してもらった給料がバイト自体の半分でなんてぇことだと今日至る。そういえば、二つ目の会社はオブジェクトしたくて転職したので、そこのマシンに多くのMacを導入して、のちのち禍根が残ったとか(論旨は行間を読んでね)。