akon2.00βのよっぱらいの戯言

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上司は思いつきでものを言う

結局、読んじゃいました。話が飛躍していて読みにくいのですが、ようは上司の立場を考えない発言が、上司に思いつきを言わせているということです。

上司というのが会社の視点でものをみていて、現場の視点で見れなくなってしまったという、危機的な会社の状況でこのような上司が生まれる。
もともと現場出身者であった上司は、上司になると会社側の人間になってしまう。このときに、会社と現場が乖離してしまうことが問題だということです。多くの会社では創業時は現場と会社は一体化していますが、順調に成長していく、つまり、会社が大きくなると総務部のような間接部門や中間管理職がでてきて、ふっと気がつくと、会社と現場が乖離してしまってオーバーヘッドを企業は抱えることになる。このオーバーヘッドを支えているのが、現場ですから、会社が大きくなるほど現場はやせていくのです。食い続け動けなくなって餓死するマンモスですね。

で、面白いのは官僚は法律で定められた範囲で、上からの仕事をこなすため、現場がないという意見です。官は利益を上げる必要がないので、現場をもつ必要がなかった。ましてや、民の意見を聞けない仕組みにしてあるということです。彼らは法に基づいて任務を遂行しているので、官に文句を言うにはその法を変えないとならないという論法でした。

さて、どんな結論かというと期待するほどのものではないてす。聖徳太子の「和をもっと貴としてなす」など十七条の憲法は、儒教を日本人のメンタルティに導入した。これが今日の日本人の行動規範になっている。そして、冠位十二階は、儒教の五徳(仁・礼・信・義・智)をもとにした、序列にした。のち、官位という序列を家柄で固定化して、歴史を下って学歴によって序列を定めた。そして、この序列は、儒教では、上に立つものは徳があらねばならないというのを、上に立つものは徳があるとすげ替えてしまった。これによって、上司は徳があるからすべからず従うべしとなる。そして、徳があるから偉いんだ。だから、思いつきでものを言ってもいいんだとなっているそうだ。したがって、「上司をバカにせず、しかも上司はバカかもしれないという可能性を考慮して行動しなさい」という結論のようです。なんだかなぁ。

天皇派の大臣蘇我が反天皇派大連物部を倒して、天皇中心の単一国家になったというのが、その後の日本に与えた影響は大きいよなぁ。