以前、「ソースコード読め」といっているくせに、論路回路読めないじゃん、みたいなことを書いたけど、源氏物語を読めないのね。そうゆう時代なんですね。必要がないから読まなくなるという歴史なのかな。技術の前に人ありきといいますが、ヨーロピアンのラテン語に対する思い入れと比べるとなんかいけていない気がします。
枡なり樽なりを作れなくなってきたり、安きに流れるのは必然として、大切なものを失いつつあるのではないでしょうか。
「ソースコード読め」といえば、名古屋以来ですが、読んでいます。ソースコードにToDoのコメントがちらりほらり・・・・・
意外と勘がにぶっていなく、虫の予感も健在で自己満足していました。夏休みも来ない予感・・・
あいかわらず、いけていない、いくりぷすも健在でした。