もちろん、商業的に「教養としてのコンピュータアート」としたら売れないのは承知上で、けっして酒匂さんにケンカを売っているわけではなく(出版社の都合だろうし)、むしろ、酒匂さんだから絡みたい(いつもどおりボコれるだけだろうけど)。原題は"Understanding the Digital World"なので、意訳した場合に、サイエンス(理論)というよりアート(技術)なんではないかと(教養にliberal artsを託していると考えるのは深読みすぎるだろう)。当然、酒匂さんは"the art and science of ~"(~の「理論と実践」という訳語を当てたい)を知っている。この場合のscienceは「科学」というよりも「体系化された理論、理屈」であり、artは「芸術」というよりも「理論化できない技、術、勘、職人芸」と僕は捉えたい。となると、計算理論(computer science)ではなく、計算技術(computer art)となる。本書に書かれていることが、理論なのか技術なのかは読者の判断に任せたい。
閑話休題。
僕は技術進歩に追従して、勉強していけばよかったけど、いまどきの学生はこれをゼロから一気に教養として叩き込まれるとしたなかなか大変なんだろうな。
で、訳注が親切。かといって岩谷宏のようにウザくなく(だからといって岩谷宏の訳注が嫌いなわけではない)。
132の値を表す2進数の指の表現が「何か」→中指が立っていることとは。
魔法使いの弟子→魔法を解く呪文を知らなかった
言語は思考を既定する→サピア・ウォーフの仮説
ブートストラッピング→「ブーツの履き口にあるつまみ革(ブートストラップ)を引っ張って自分の身体を持ち上げる(pull oneself up by one's bootstraps:自力でやり遂げる)→ブーティング
ごみ箱(Recycle Bin)はwindows、ゴミ箱(Trash)はMac
まるでざんきとザンギみたいだ。