もちろん、キムタクとは関係ない。
「運は呼び込むことも引き留めることもできない。
幸運は、自らの手で作り出せば、永遠に尽きることはない。」
芽が生える場所を、運に頼って探すのでは無く、自ら芽が生えるように物事を進めていく
もうひとつのグッドラック物語は、「グッドラック」を読んだ人達の感想をまとめて本になってしまうところがすごい。
地下鉄の吊り広告のグッドラック物語は結構、好きだ。
アマゾンのコメントもこれくらいのクオリティがあればいいのに。
もちろん、キムタクとは関係ない。
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中央アジアのCSI諸国、カザフスタンやウズベキスタンはチンギス・ハーンの子孫を核とした民族。
タタルスタン共和国は、チンギス・ハーンの長男ジョチ一族の「黄金のオルド」の後裔。
ユーラシア(Eurasian)は、ヨーロッパ(Europe)とアジア(Asia)の合成語。
モンゴル帝国は消滅していない。
→1368年、モンゴル本土と中国を支配していた元朝の皇族は、明朝の朱元璋におわれて、モンゴル高原に逃れた。
遊牧帝国とは、部族連合からなる遊牧民族と、かれらが征服した定住農耕地帯の諸民族で構成された多民族国家。
民族は、遊牧部族の連合。領土の概念を持たない国家。
部族は、特定の首長に率いられて、他の遊牧集団とはっきり区別できる集団。
氏族は同じ祖先をもつ人々の集団だが、すべてが血縁関係とは限らない。部族の下位集団。
17世紀、モンゴル帝国の東端に満州族の清朝、西恥にロマノフ王朝ロシアが誕生した。
清朝は1636年の建国の際に、元朝皇帝の後裔から支配の正当性を引き継いだ。
ロシアは1572年リューリク朝のイヴァン雷帝のときに、「黄金のオルド」の後裔のハーンから位を継承した。
清朝の建国とモンゴル諸部
ゴピ沙漠の南のモンゴル諸部は、その領主たちの多くがチンギス・ハーンの直系のダヤン・ハーン を祖先とする、ハルハ部の同族。
清朝は、大興安嶺山脈の東側から興ったマンジュ(満洲)人の建てた王朝。
マンジュ人は1635年まではジュシェン(女直、女真)人と言つていた。
清朝の太祖皇帝とよばれるヌルハチが、諸部族を統合して1616年に建てた王朝は、はじめアイ ガ・アイシン・グルン(後金国)と言った。
ヌルハチは、1648年、チンギス・ハーンの弟ショ チ・ハサルの子孫であるモンゴルのホルチン部族の領主と婚姻をむすび、同盟関係に入った。
ヌルハチは1626年に死に、八男のホンタイジが父の後を継いで、モンゴル諸部を順次征服しはじめた
その頃モンゴルでは、ダヤン・ハーンの直系のチャハル部族長リンダン・ハーンが、同族であるモンゴル諸部の領主たちを制圧し、モンゴルの再統一をはかっていた。
しかし、リンダン・ハーンは、チベット遠征のために青海に向かう途中、1634年にシラタラ(甘粛の武威の草原)で病死。 その遺児エジェイは母スタイ太后とともにジュシェン軍に降伏。
この時にエジェイとスタイ太后が、シュシェン人のハーン・ホンタインに捧げたのが、昔の元朝の皇帝の玉璽「制誥之宝」。
https://sengna.com/2017/05/14/hese-wasimbure-boobai/
ホンタイジは、チンギス・ハーンの受けた天命が自分に移ったと解釈し、ジュシェンという種 族名を禁止してマンジュ(満洲)とよぶことにした。
翌1638年、ホンタイジは、藩陽に召集された大集会(クリルタイ)で、満洲人、ゴビ砂漠の南のモンゴル人、遼河デルタの中国人の代表 から、三種族の共通の皇帝に選挙されて、新しい国号を大清と定めた。これが清朝の建国である。
チンギス・ハーンの直系の子孫であるエジェイは、ホンタインの次女と結婚して、清朝皇帝の婿となり、親王の爵位を授けられた。清の太宗皇帝ホンタイジの五人の皇后は皆モンゴル人で、三人はホルチン部族出身、残りの二人はチャハル部族のリンダン・ハーンの未亡人であった。
1643年、太宗皇帝ホンタイジが死 に、ホルチン・モンゴル人の皇后から生た順治帝が父の後を継いだ。翌1644年明朝が亡びたので、清朝は瀋陽から北京に入って中国を支配することになった。
転生活仏制度
僧侶に妻帯を禁じているチベット仏教社会では、教団を維持するため、
高僧がなくなると、予言や占いを利用して、死後49日以内に受胎して生まれた子供から転生を探し出す。
そして、高僧の弟子たちがその子供を教育して、教団と財産一切を継承させる。
満州語は、ツングース系の言語で、モンゴル語やトルコ語と近い。
この三つの系統の言語をアルタイ系言語と総称することがある。
これらの語順は日本語や韓国語に近い。
ジューンガル部はオイラトの一部族であるが、オイラトはモンゴル民族とは呼ばれない。
唐は、北アジアを支配していた突厥帝国の君主カガン(のちハーンの起源となる称号)に対して、臣下の礼をとっていたが、李淵(高祖)の子李世民(太祖)は、軍を送り突厥を滅ぼし、突厥の支配下にあった北アジアの遊牧民たちは、唐の皇帝を自分たちの天可汗(カガン)に選挙した。
契丹の別種の室韋
7世紀にアルグン河渓谷の小さな部族であったモンゴルは、11世紀には、契丹が建てた遼帝国の外縁にあって成長し、12世紀には、契丹にとってかわった女真の金帝国の同盟遊牧部族の一つとなって、多くの有力氏族に分かれた。
モンゴル部族の中のキヤン氏族から出たチンギス・ハーンが13世紀初めに、モンゴル高原の全遊牧民族を統合してその最高君主に選挙されて、草原のあらゆる遊牧部族はモンゴル民族となった。
とはいえ、チンギス・ハーンといえども、直轄の領民以外、つまり、他の領主の領民に直接の支配を及ぼすことはできなかった。チンギス・ハーンができたのは、万百長、千百長、百長を任命すること。
ラシード「集史」
第一部(Bāb-i Awwal)(テュルク・モンゴル諸部族史)
第1章(Faṣl-i Awwal) - オグズの子孫から生じた部族と、オグズの親族から生じた部族も加えた二十四部族(オグズ系諸部族)
ウイグル、キプチャク、カルルク、カンクリ
第2章(Faṣl-i Duwum) - 現在はモンゴルと呼ばれているが、以前はそれぞれ別の名を持ち、独立した首長を持っていたテュルク部族(テュルク諸部族)
ジャライル、スニト、タタル、メルキト、コルラウト、タルグト、オイラト、バルグト、テレングト、森のウリヤンハン
第3章(Faṣl-i Suwum) - 以前は独立した首長を持っていたが、第二のテュルク部族とも第四のモンゴル部族ともつながりはなく、しかし外観や言語は彼らと近いテュルク部族
ケレイト、ナイマン、オングト、タングト、キルギズ、カルルク、キプチャク
第4章(Faṣl-i Chahārum) - 久しい前から通称はモンゴルであったテュルク部族、これから出た多くの部族(モンゴル諸部族)
第1節(qism-i awwal) - ドルルキン諸分族(コンギラト、コルラス、イキレス、イルジキン、ウリヤンキトなど)
第2節(qism-i duwum) - ニルン諸分族(アラン・コアの子孫 チンギス・カンと系譜関係にあるモンゴル系の諸氏族)
フビライがモンゴル帝国唯一の大ハーンになった際、フビライ政権は、モンゴル高原と中国の両方を支配した。
しかし、経済基盤は中国にあり、1271年大元、元朝を建国した。
1634年、元朝は中国を失い、モンゴル高原に退却した時代を北元時代と呼ぶ。
明朝は、韃靼と呼んだ。蒙古(モンゴル)とよぶと、北アジアの民こそが元朝の後裔となり、元朝の正統を継いだことを自認する明朝には具合が悪い。
つまり、タタールとオイラートの抗争ではなく、モンゴルとオイラトの抗争である。
オイラトの首領たちは、チンギス・ハーンの男系子孫ではなかったので、ハートを称することができなかったので、タイシ(太師)という称号を使った。
モンゴルとオイラトを指して、ドチン(40)とドルベン(4)という。
これは頭韻を踏んだ言葉で、モンゴルが40部族連合、オイラトが4部族連合であることを示している。
ジューンガル部のライバルだったトルグート部は、ロシアの支配が強まるヴォルガ湖畔を脱出し、中央アジアを横断し、清朝の支配下に入っていた故地イリに帰還した。
彼らの子孫が新疆ウイグル自治区北部で暮らす、トルグート・モンゴルと呼ばれる。
古来、遊牧民族は君主の息子たちの相続争いで、瓦解する。
僕の珠算検定の証書?には練馬区長だったときの印鑑が押してある。
でも見かけた記憶がない。志位さんは駅前でビラ配りをしているのはよく見たけど。
片務的な日米安保
→日本が第三国から侵略を受けたら、米国は日本を守る義務があるが、逆の場合は、日本は何もする必要がない。
ハル・ノートは「日本軍の品からの全面撤退」という原則をうたっているだけで、細目に関する規定がない。
つまり、いくらでも調整の余地があった。
日本において、共産主義の理想である均一賃金が実現している。
→同一会社において、入社年度が同一の者の収入はほとんど等しい。
デモクラシーは、独裁者ではなく、人民自身の熱狂によって、殺される。
選挙はお祭りだ。選挙は富の再配分だ。
選挙はその地域にとって、公共事業に匹敵する基幹産業である。
アメリカでは法律の矛盾は裁判所が処理する。
日本の裁判所では処理できないので、法案の段階で矛盾がないようにしておく。
したがって、議員は立法できなくなる。
日本においては、近代的所有概念が成立していないので、生産手段はいったい誰のものか判然としない。
国会は唯一の立法機関である。
司法権とは、法律の最終的な解釈権。
田中角栄が提案者となって作った法律は33、推進した議員立法を含めると72。
第1章 <対談>田中角栄元首相『1982年を睨む』
第2章 <異説>田中角栄
第3章 角栄を無罪にせよ! ―私の真意
第5章 「世論」と裁判
第6章 <緊急提言>田中角栄待望論
第7章 <さらば!田中角栄>天才政治家が戦後日本政治に残した功罪
第9章 田中角栄以前、以後
僕の珠算検定の証書?には練馬区長だったときの印鑑が押してある。
でも見かけた記憶がない。志位さんは駅前でビラ配りをしているのはよく見たけど。
片務的な日米安保
→日本が第三国から侵略を受けたら、米国は日本を守る義務があるが、逆の場合は、日本は何もする必要がない。
ハル・ノートは「日本軍の品からの全面撤退」という原則をうたっているだけで、細目に関する規定がない。
つまり、いくらでも調整の余地があった。
日本において、共産主義の理想である均一賃金が実現している。
→同一会社において、入社年度が同一の者の収入はほとんど等しい。
デモクラシーは、独裁者ではなく、人民自身の熱狂によって、殺される。
選挙はお祭りだ。選挙は富の再配分だ。
選挙はその地域にとって、公共事業に匹敵する基幹産業である。
アメリカでは法律の矛盾は裁判所が処理する。
日本の裁判所では処理できないので、法案の段階で矛盾がないようにしておく。
したがって、議員は立法できなくなる。
日本においては、近代的所有概念が成立していないので、生産手段はいったい誰のものか判然としない。
国会は唯一の立法機関である。
司法権とは、法律の最終的な解釈権。
田中角栄が提案者となって作った法律は33、推進した議員立法を含めると72。
第1章 <対談>田中角栄元首相『1982年を睨む』
第2章 <異説>田中角栄
第3章 角栄を無罪にせよ! ―私の真意
第5章 「世論」と裁判
第6章 <緊急提言>田中角栄待望論
第7章 <さらば!田中角栄>天才政治家が戦後日本政治に残した功罪
第9章 田中角栄以前、以後
除夜の鐘には早すぎますが、 例年のごとく、フライング。
今年の国内での新たな出合い
・串で焼かない焼き鳥
・串から外して食べると怒られる焼き鳥
・にこやかにウチワで扇ぐ焼き鳥
・北千住ozのアイスランドラム
・無化調中華のホウエイ
・発酵系つまみのぽんしゅ家
・いまどき朝までやっているワインバーフジモリ
なお、オーボンクリマ飲み比べなんてやりましたが、ついにMr. ボトリティス*1のバーティカルを空けました。
napaのティスティングルームで、パルちゃんを飲んでいる際に偶然?(想定内の営業かも)にMr. ボトリティス(貴腐菌)こと、ロジャーに会い、(わかりにくいけど)サイン付きでバーティカルを分けてもらったNOBILITY LATE HARVEST SAUVIGNON BLANC。おそらくに日本には鈴木家以外ない逸品。
そして、2016 Kistler Hudson Chardonneyと2017 Kistler Hyde Chardonneyとの飲み比べ。こちらも日本では見かけません。
香箱蟹北陸食べ比べはできなかったけど、ハーフムービーチのウニ、松露、銀宝にめどがたってうれしい。
ここにあげましたところ以外にもいろいろお付き合いいただきまして感謝しております。来年もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
来年は食いまくるぞー。
中国に共産主義は存在しない
→あるならば、全員に平等に分配されるはずだ。
清朝はイギリスなど認識しておらず、アヘン戦争など小さなエピソードに過ぎない。
イギリスが貿易で持ってきたものは、品質が悪く売れなかった。
売れたのはアヘンだけ。
マイセンなどの陶器も中国の真似。
太平天国の乱を起こした洪秀全は客家。
客家は、貧乏で女性の労働力も必要なため、纏足はしていない。
多くの人は漢字が使えず、話し言葉が通じる集団で暮らしいている。
科挙は漢字の試験のようなもので、科挙に落ちた人が商人となり、つまり、漢字を使える人が商人になれる。
商人が商人連合を作り、それぞれの地域に同郷会館ができ、ネットワークが作られる。
ジューンガル
→中央アジアの大帝国
辮髪は北、纏足は南の風習
日清戦争は、日本の国民軍と朝鮮半島に権益を持つ李 鴻章の私兵との闘い
13世紀、朝鮮半島はモンゴルの支配下にはいり、高麗王はモンゴル皇帝の娘婿になり、代々の王の母はモンゴル人。
孫文は辛亥革命まで、すべて失敗し(ただ外国から指示していただけ)、中華民国で国父と呼ばれるのは、妻宋慶齢が中華人民共和国副主席だったから。
辛亥革命といっても清朝の南方しか実行支配していなかった(14省)。
ロシアとのネルチンスク条約は満州語とラテン語で書かれていて、漢字は使われていない。
儒教は信仰ではなく、漢字の使い方の訓練
五・四運動の主役は陳独秀、李大釗であり、毛沢東は参加していない。
コミンテルンの指導の下、陳独秀と李大釗が共産党を結成し、毛沢東が党大会に参加したのは二回目から。
毛沢東は湖南省の出身で、北京語がしゃべれなかった。
彭湃が農民運動をはじめ、農民協会をつくり、
国共合作によって、毛沢東を所長とする農民運動講習所が広東にも置かれた。
湖南省の農民協会が哥老会という秘密結社と合体。
毛沢東は長征の際にライバルを見殺しにして生き残った。
コミンテルンはレーニンが作ったので、スターリンのいうことは聞かなかった。
中国国民党(都市の秘密結社)も中国共産党(農村の秘密結社)も軍閥
そして、国共合作によって、一番強い軍閥になった。
つまり、党は全国組織ではなく、地方組織。