中国に共産主義は存在しない
→あるならば、全員に平等に分配されるはずだ。
清朝はイギリスなど認識しておらず、アヘン戦争など小さなエピソードに過ぎない。
イギリスが貿易で持ってきたものは、品質が悪く売れなかった。
売れたのはアヘンだけ。
マイセンなどの陶器も中国の真似。
太平天国の乱を起こした洪秀全は客家。
客家は、貧乏で女性の労働力も必要なため、纏足はしていない。
多くの人は漢字が使えず、話し言葉が通じる集団で暮らしいている。
科挙は漢字の試験のようなもので、科挙に落ちた人が商人となり、つまり、漢字を使える人が商人になれる。
商人が商人連合を作り、それぞれの地域に同郷会館ができ、ネットワークが作られる。
ジューンガル
→中央アジアの大帝国
辮髪は北、纏足は南の風習
日清戦争は、日本の国民軍と朝鮮半島に権益を持つ李 鴻章の私兵との闘い
13世紀、朝鮮半島はモンゴルの支配下にはいり、高麗王はモンゴル皇帝の娘婿になり、代々の王の母はモンゴル人。
孫文は辛亥革命まで、すべて失敗し(ただ外国から指示していただけ)、中華民国で国父と呼ばれるのは、妻宋慶齢が中華人民共和国副主席だったから。
辛亥革命といっても清朝の南方しか実行支配していなかった(14省)。
ロシアとのネルチンスク条約は満州語とラテン語で書かれていて、漢字は使われていない。
儒教は信仰ではなく、漢字の使い方の訓練
五・四運動の主役は陳独秀、李大釗であり、毛沢東は参加していない。
コミンテルンの指導の下、陳独秀と李大釗が共産党を結成し、毛沢東が党大会に参加したのは二回目から。
毛沢東は湖南省の出身で、北京語がしゃべれなかった。
彭湃が農民運動をはじめ、農民協会をつくり、
国共合作によって、毛沢東を所長とする農民運動講習所が広東にも置かれた。
湖南省の農民協会が哥老会という秘密結社と合体。
毛沢東は長征の際にライバルを見殺しにして生き残った。
コミンテルンはレーニンが作ったので、スターリンのいうことは聞かなかった。
中国国民党(都市の秘密結社)も中国共産党(農村の秘密結社)も軍閥
そして、国共合作によって、一番強い軍閥になった。
つまり、党は全国組織ではなく、地方組織。