akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色 当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。

本牧亭

wiki先生も知らない(まだインデックスだけ)。
まず、wiki先生の知っていることから

鈴本演芸場は、1857年に上野広小路に講釈(講談)を行う場として「軍談席本牧亭」として開かれた。その後、明治時代に苗字が許されて、創業者が鈴木姓を名乗ったことから、鈴木と本牧を合成させて、「鈴本演芸場」と改名される。

向かいにあった店が「金沢」という屋号だった(周囲の景色も横浜に似ていた)。そのため、横浜の金沢区と根岸湾を挟んで向かいにある本牧から名前を借りて付けたと言う。

戦後、本牧亭を当時の当席三代目席亭鈴木孝一郎の三女(石井英子)が復興させた。現在も英子の一族により運営されている。

というわけで、いまの女将は鈴本のお嬢さんなわけですが、いまのところ、子供たちは継ぐ気はないようなので、また、本牧の火はきえてしまうのかも。
さて、ネットのメリットは速報性なので、書籍に書かれたあとの歴史について書いてみたい。
私が本牧亭に通い始めたのはおそらく1998年頃。福岡の刺身に慣れて、東京では、
さしみは食べれない状態のときに、当時アダムネットの副社長に紹介していただきました。まぁ、文化の素養なんてない粗雑なやつですから、講談の「こ」の字もわかっていない(これはいまもかわらない)のですが、ときどき、同席してしまう圓歌さんのたのしい会話を期待して、通いました。某書籍のあとがきで、円家と誤植?のまま改定できていないのは心残り。そのころは、いまは御徒町最大のキャバクラになってしまったところから、中町通りから1本引っ込んだ路地(バー琥珀のあるところ)に店がありました。琥珀について語るまでもないですが、渡辺さんが以前バーテンダーをしていた店でもあります。板がむくちゃんから、矢内に代わったり、店のご主人がなくなったり、大家と契約でもめたりして、現在の黒門小学校のあたりに引っ越してきました。その後、矢内が心身症になり(いまでは復帰して築地の料亭の副長らしい)、板がごろごろ変わり、むくちゃんの師匠が板に入ってくれて、現在はどうにか落ち着きを取り戻しています。矢内と考えた一連のメニューが失われてしまったのは残念ですが、おいおい、いまの板と再興していきたいと思っています。
春は鯛、夏は鱧、秋は鴨、冬は・・・
豆乳鍋なんてやりましたね。鴨カツもおいしかったな。
さて、文化の素養がなくても、長い間通っていると、講談師と飲む機会は増えてくるので、演目は知らなくても、名前だけは覚えるわけです。圓歌さんのマネージャが帰り際に小話を披露してくれるのですが、いまだに名前を覚えていない・・・
人間国宝一龍斎貞水さんは別格として、飲み会といえば駆けつけてくる(寄生?)。貞友さん(ちびまる子ちゃんのさくらすみれ(おかあさん)の声優)、貞橘さん、一凜ちゃん。そうそう相性が悪いから忘れがちな森雪ねーさんことは春水さんなんて方々に出会えるかも・・・