akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色

講談師はエバンジェリストだった説

どうも日本橋はお行儀よく、講談を聞かないといけない雰囲気で苦手であった。まぁ、アウェーだからなんだけど、蛇の市から近いことがわかったので、おいしいお水で、貞友ねいさんがつれるのではないかと思った。(ファンが聞いたら、怒るだろうなw)。
さて、ひさしぶりに、ありがたいお話を聴講させてただいたので、
以前から、夢想していたことをちょっと書いてみる。

現代のように教育システムが構築されていない時代に、そして、マスメディアがない時代に、たとえば、なぜ、四足の動物を食べてはいけないと思っていたのか、なぜ、信長が叡山を焼き討する際に武士はひるんだのか。疑問であった。

ウィキペディアによると、

「講義」の「講」は、平安時代に仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。のちに仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった。そして、信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった。

いまでいうコミュニティ活動も講の一種だ。講談の前口上で、時事について語っているあたりは、そもそもプロパガンダの役割を担っていたなごりだ。つまり、講談師は、エバンジェリストだった。なにを伝道していたのか、誰の指令で伝道していたのかは、時代によって異なっていたであろう。
たとえば、秀吉と蜂須賀小六の出会いのように(当時、あの橋はなかったらしい)、史実ではなく、講談の世界だけの物語というものがある。これが小説となり、大河ドラマとなり、史実だと思わせてしまうプロパガンダ。今日では、本来の目的を忘れて、娯楽に走ってひとつのビジネスの形態になってしまったので、この例のように、政治的な実害はない。師匠に教わったものを後進に伝えることも大切ではあるけど。
そてさて、古代の支配者は、最強のシナリオライタであったらしく、神という存在を捏造し、神には、すごい能力があったことを信じ込ませ、神の子孫であることから神託を告げる能力があり、この一族を敬わないと、災いが起こるぞと権力者はプロパガンダして、民を支配していた。
まず、神はすごいと思い込ませるために、たとえば、大陸からわたってきた天文学を使って、雨を予想した上で、雨ごいをしたはずだ。祈れば、神は雨をふらしてくれるといったのであろう。
次に、自分たちが神の子孫であることを証明するために、トランス状態、いわゆる神がかりをわざとみせつけることで、人智を越えた何かがあると思わせ、ダメ押しで、神楽舞という集団トランスシステムをあみだしたのであろう。祭りなんて集団トランスシステムの典型ですよね。
アマテラスを岩戸からおびき出したアメノウズメの舞だぞ。ご利益がありそうだろと神楽舞を広めていったに違いない。この舞をありがたく思うためには、事前にアマテラスが神であり、神がありがたい存在であることを広めておかなければならない。そこで、権力者からの密命を受けたエバンジェリストたちが全国に散り、天孫降臨などの神話を流布させたと想像している。
この神話は、親から子、仲間内で、いわゆるクチコミ的に、聞き手を楽しませようと、工夫しながら、広まっていった。これが講談だったのかもしれない。そこにプロパガンダがあったのは、最初のころだけで、時代が下がると、娯楽性がまして本来の目的が失われてしまったのかもしれない。

与太話の上に、余談。
傘のうえで、ボールとかをまわす芸(正確には、「傘の曲」というらしい)などを曲芸、獅子舞とセットで大神楽といい、もともと(いまも?)は、神札を配っての、悪魔祓いだったらしい。獅子舞はわかるが、傘のうえで、ボールをまわすことで、悪魔祓いできるというのが面白い。寄席でいう色物が悪魔祓いですよ。