akon2.00βのよっぱらいの戯言

色しょく是食、食しょく是色

犬伏の別れ

  
真田丸が終わって久しくファンも熱が冷めていると思うので、この有名な場面を否定してみる。
この場面は、そもそも、この場をのぞき見しようとした河原綱家*1が残した資料に基づいている。つまり、のぞき見できなかった人の資料である。実際に、その場に誰がいたかどうかすらわかっていない。だいたい、以下のような筋書きになっている。

上杉景勝討伐のために、下野国犬伏で陣を敷いていた真田父子3人のところに石田三成からの密使が到着し、去就を話し合った。そして、敵味方に別れることになった。昌幸・信繁父子は沼田城に向かい乗っ取ろうとしたところ、留守を守っていた小松姫に入城を拒否された。

信幸が戻っていないのに、小松姫は舅の入城を拒否したということは決裂を知っていた。しかも、昌幸・信繁父子は、大阪に人質を取られているのに、信幸の小松姫と息子が沼田にいる。
ちょっと、歴史をさかのぼると、昌幸は上杉景勝を通じて豊臣秀吉の臣下に入り、秀吉の命で徳川家康と和解した。沼田城の支配を信幸に認める代わりに、徳川氏の与力大名となり、信幸は家康の養女小松姫との婚姻関係を結ぶというのが和解の条件だったと推測できる。
つまり、
名目上は徳川氏の与力大名だが実際は豊臣の家臣である昌幸と、
名目上は昌幸の所領の一部を収める領主だが実際は徳川の与力大名である信幸
と、
べつべつの家になっていたと思っている。
そして、大阪方としては、徳川の与力大名である信幸には人質を要求できなかった。したがって、犬伏で親子3人が相談するまでもなく、分かれて戦わざるを得なかった。

*1:この際、昌幸に下駄を顔面に投げつけられ前歯を折ったという逸話もあるが、当時綱家は留守居役として大坂にいたと考えられることから誤伝とされてい。しかも、戦場で下駄をはいているというのも不自然