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天武天皇の謎

天皇家菩提寺泉湧寺において、天智からすぐ光仁桓武と続き、天武系天皇は除外されている。
つまり、天武から称徳までの8代7人の位牌がなく、皇室祭祀から除外されている。天武系天皇は先祖としての供養がされていないということだ。位牌は鎌倉時代に中国から伝来したので、後世に作った位牌ということになる。つまり、後世になって、祖先ではないということに気が付いた可能性がある。

なぜ、気づいたかの憶測の前に、天武の謎について書いておく。いろいろなところに書かれており、ご存知の方も多いであろう。

謎1
天武は没年は686年であるが没年齢がわからない。日本書紀を編纂させた天皇であったにもかかわらず。
65歳とされている記録もあるが、すると、誕生年が622年となってしまう。兄である天智の誕生年は626年である。

謎2
天武は大化の改新にも登場せず、白村江の戦までの記録がない。
→これについては、斉明の時代は蘇我氏により、いつ暗殺されてもおかしくない状態であり、天智ひとりではこころもとないので、天武を成人するまで人里離れたところで養育していたのではないかという仮説を立てることができる

謎3
天智は自分の娘を四人も天武に嫁がせている。古代では近親結婚は珍しくないが、四人も嫁いでいるのは珍しい。これは豪族が婚姻で天皇家外戚になろうとしているのとかわらない

謎4
天皇を守るべき三種の神器の草薙リ剣が、天武にたたるという現象が起き、熱田神宮に移している。

さて、天智は誓約を交わさせているところからうかがえるように、大友皇子では天武に太刀打ちできないと考えていた。
そして、天武に都合がよい日本書紀ができあがることも予想できた。そこで、天武が編纂させた日本書紀は事実と違うことを天武に気が付かれず、後世の人々に伝えられるように暗号化し、その復号鍵を潜り込ませた。

まず、暗号化されていることを気が付かせるために、吉野隠遁と東行の記述に誤りを紛れ込ませた。
吉野隠遁として出家するにあたって、夫人を伴った。
東行にあたっては、山中を輿にのったとされている。
伊賀の兵が味方についたことになっているが、大友皇子の母の実家である伊賀が味方につくとは考えられず、日本書紀の記述に誤りがあり不審をいだくであろう。
これだけだと、日本書紀は誤りだらけで、信用できないということになり、本来の目的を果たせなくなる。
一方、天武はなぜ、このような誤りを気にしないで修正させなかったのかという謎は残る。

さて、復号はどうしたらよいのであろうか。
ところどころに聖書と似通わせた。
たとえば、
日本神話
「ニ二ギ」は美女コノハナサクヤヒメに恋をして妻にしようとする。ところが、彼女の父は姉の面倒も見てやってくれという。しかし、姉は美しくなかったので、ニ二ギはこの姉を父に返してしまう。

聖書
ヤコブ」は美女ラケルに恋をして妻にしようとする。ところが、彼女の父は姉も妻にしてくれという。しかし、姉は美しくなかったので、ヤコブはこの姉を嫌った。

日本神話
「ニ二ギ」は、妻コノハナサクヤヒメとの間に「山幸彦」を生む。ところが山幸彦は兄にいじめられ、海神の国へ行く。そこで山幸彦は神秘的な力を得て、田畑を凶作にして兄を悩ませるが、そののち兄「海幸彦」の罪を許す。

聖書
ヤコブ」は、妻「ラケル」との間に「ヨセフ」を生む。ところがヨセフは兄たちにいじめられ、エジプトに行く。ヨセフはそこでエジプトの宰相となり、兄たちが凶作で苦しんでエジプトにやって来た彼らを助けその罪を許す。

似たような歴史、進化を遂げてきた民族同士の神話が似ていることに不思議はない。
むしろ、日本書紀はなぜ、このような神話を挿入したかということである。

つまり、似ているということことが暗号解読のための復号鍵なのである。
似ているということは、モーゼの出自も似ているということである。
このように、モーゼと天武は似ているように書かれている。
ともに迫害から逃れるために一族を率いて東に向かい、敵を湖で打ち破る。そして、ともに律令国家の指導者になる。

エジプト王はユダヤの民がこれ以上増え続けることを嫌い、生まれる子を殺すことを命じた。しかし、モーゼの母、モーゼをアシの籠にいれて川に流した。そして、エジプト王の娘に拾われ、王宮で育てられた。つまり、モーゼはエジプト王朝の血を引いていない。これが日本書紀の伝えたいことなのではないか。

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日本書紀が作り事であることを知らせるため、

川島皇子



天武天皇に命じられて、
川島皇子(天智天皇の第二皇子)に命じて編纂された史料は
日本書紀』の原史料の1つであったとする説

このため、宝皇女(後の皇極)が舒明に嫁ぐ前に郄向王(用明天皇の孫で、田目皇子の子)との間に漢皇子を得ていたとあることから、漢皇子=大海人皇子という説がある。つまり、郄向王が天武の父とされたのです。