葦原金次郎
奇抜な言動や行動で大衆や新聞記者に人気があった松沢病院の精神病患者。
熊沢寛道
96代後亀山天皇第19世西陣南帝(信雅王)の子孫、南朝第118代の「熊沢天皇」と称し、諱を尊熟と自称する。
後に法皇を自称。なお、熊沢天皇と称した人物はほかに5人(唐彦、乃武夫、照元、常春、酒本正道)いる。
富士宮下文書を根拠としている。
熊沢里吉
闇物資として石炭を流していたため逮捕され、警察の取り調べで熊沢家宗家の人間だと名乗るが、名字がたまたま同じだっただけで後南朝研究に心血注いだ熊沢家とは関係ないようだ。
工藤智久
明治天皇の第二皇子敬仁親王は大正天皇の同母兄で夭折したことになっているが、実は明治天皇が上田市に行幸したときの御落胤で、その身を隠すために生島足島神社を守る工藤家に入ったという。その孫>
石川養治 司王国皇帝
田宮仙海
後醍醐天皇の子孫を名乗る。自称天皇総員会議を提唱して、日本全国を行脚した。
佐藤英壱郎
元憲兵。戦後の日本ではGHQが危険と判断した人間を公職追放したのだが、その対象に自分の名がなかったことを不服としあえて安徳天皇の子孫を名乗ってGHQに目をつけられようとした。日本人は皆天皇の子孫だという主張をする。
安川守
霊元天皇の皇子だったが、お家騒動から逃れるため野に下ったその子孫だと主張。
法天皇
本名不明。「法の天皇」という文字で染めた半纏を着ていた。
松本忠致
熊沢天皇がご先祖の信雅王が潜伏していた地を探して辿り着いた福島県葛尾村で巡り合った人。伝承では長慶天皇の子孫らしい。熊沢と協力して後南朝の史跡を探した。熊沢から南朝後胤とお墨付きを与えられた。
竹原天皇
本名不明。南朝後胤だと主張。後醍醐天皇にゆかりのある奈良県吉野の如意輪寺を自分の皇居だと勝手に決めた。
国憲天皇
本名不明。野良着を着て数珠を持って歩き回っていた。
長田天皇
上村天皇
外村光陽
後醍醐天皇の子孫を名乗る。昭和天皇の行幸のとき、あの天皇は偽物だ、などと叫んだため群衆に袋叩きにあう。その後、日本共和党から衆議院選挙に出馬するが惨敗。
横倉天皇
伊藤獨 清作
後南朝の自天王の末裔
植本一雄
南朝の皇統の継承者と霊示されたといい、1952年、明仁親王より80日早く立太子礼を行い、「植本天皇」と称した。世界あじろ木同盟を主宰。
神聖天皇・天璽照妙光良姫皇尊(璽光尊)、長岡ナカ
元号を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてダグラス・マッカーサーに自らの皇居参内を命じ、やがて金沢に遷都し、私造紙幣をも発行した新興宗教の教祖。
*長浜豊彦
鹿児島県硫黄島で81代安徳天皇の末裔を主張。「長浜天皇」と称した。長浜天皇と称した人物はほかにも長浜政風がいる。
*三浦芳聖
98代長慶天皇の末裔で後醍醐天皇の皇子尊良親王の生まれ変わりだと主張した。
竹山稔