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空想:持統上皇の三河行幸その2

徐福は不老不死の薬を求めて、和歌山県新宮市に渡来した。この不老不死の薬「仙丹」の原料は水銀である。このコースは、神武天皇が熊野に上陸して宇陀水銀に向かったのと同様である。アマテラスが移動したとされる丹後や備後も水銀の鉱山のあるところである。つまり、倭姫命のアマテラスの移動は水銀鉱山の開発が目的であった。

丹は朱砂を意味し、その鉱脈のあるところに丹生という名のつく地名がある。朱砂を精錬すると水銀となり、金鉱石は水銀で精錬されて金となる。古代から辰砂や丹砂の採掘に携わっていたのが丹生氏で、その一族が奉じ、丹砂の神であり氏神とも思われるのが丹生都比売神。安曇族、多氏、丹生氏は水銀の鉱脈を求め、九州(邪馬台国の伊都国)から出発した。中央構造線にそって水銀の鉱床があり、四国を経て紀伊や吉野などを拠点として、各地を探索して辰砂の採掘に従事していた。枯渇したり地下水の出水で掘削の限度に達すると、また他の場所へ移動して新たな採掘を行っていった。

吉野やその西の葛城は丹、つまり水銀の産出地であった。修験者は山の民の中でも鉱山師、つまり、山師であった。大海人皇子は彼らと彼らの財力を味方につけ、壬申の乱を成功させたと考えられる。大海人皇子は見返りとして伊勢にあった鉱物資源の独占を認めたのでしょう。大海人皇子の養育に関わった凡海麁鎌(葛城山麓の大和国忍海郡に住んでいた)は、金を冶すために陸奥国に派遣されていることから製鉄や冶金に関わっていたと考えられる。この凡海氏(大海氏、海部一族の伴部)にちなんで、大海人皇子と呼ばれていた。

つまり、持統天皇の1回目の行幸目的は伊勢神宮の設立の陰に、この伊勢の水銀鉱山の利権の確保であった。さらに、持統上皇は新しい鉱山や鉱脈を探す拠点を三河に築くために行幸したと考えられる。

病に侵されていた持統上皇は幼い孫を残して死ぬわけにもいかず、不老不死の薬とされていた水銀を摂取し、水銀中毒で死亡したのではないか。そのため、火葬せざるを得なかったのであろう。