僧侶は怨霊に祟れない。医師は僧侶の格好して怨霊に祟れないようにした。
能は怨霊を演じる。これまで、祟られるのが怖くて誰も怨霊を演じてこなかった。
観世三郎元清は時宗の信者(時衆)の習慣である阿弥を名前に付けることで、
僧侶になり、祟られないようにした。
さらに、面をつけることで、怨霊に祟れないようにする
一方、韓国仮面劇は面を使ったら燃やす。
幽玄→
歌舞伎の素人芸は笑ってしまうが、能は素人が演じてもへんにみえない。
将棋の駒の再利用は室町時代、つまり、下克上とともに生まれた。
捕虜なることを潔しとしない時代であれば、駒を再利用しないチェスのようなものになっていたかもしれない。
名字の使用には身分が必要であったが、紋の使用はゆるかった。