モデルは論理の結晶という小室直樹のモデル本。
経済学と宗教の入門書でもある。
■マルクスのモデル
マルクスのモデルの本質は疎外である。
疎外とは、社会には法則が存在するにもかかわらず、
人間がそれを法則であることは知らずに、
勝手にこれを動かそうとすること。
ソ連には納期という考えがなかった、
資本主義には、以下の精神、エトス(行動様式)がある。
・時間は貨幣である。
・利子・利息が正しいと認められている。
・労働は神聖であって神によって救われるための方法になる。
→ソ連ではこれがないため、労働にノルマが課せられ、成果主義になり、
プロセスは無視される。
■ロック・ホップスのモデル
無秩序から国民を守るために国家権力が必要
土地フェティズム(土地をむやみにありがたがること)に対して、
労働という考え方を導入することによって、
人間が使える資源を増加させた。
自然状態、いわば、原始状態において、有限な資源をめぐって、
人々は争い、「孤独、貧困、深い、殺伐、そして短命」という人生を送ることになる。
人々は主権者と契約を結び、主権者は何が正義であるかを決める絶対権力を持つ。
そらに、ルールを決めなければ仲良く暮らしていけないが
ルールを決めてもみんなが約束を守るとは限らい。
したがって、主権者は力を持たざる終えず、絶対権力になる。
ロックは功利主義の元祖である。
功利主義とは、快楽と苦痛が人間を支配することである。
快楽(利益)の追求は悪徳である。
すべての個人は、ただ、私利私欲だけを追求する。しかし、それが自由競争のメカニズムを通ると、
神の見えざる手によって、最大多数の最大幸福を達成する。
つまり、個人の悪徳は公共の美徳となる。
■リカードのモデル
・比較優位説→どんな有能な人でもすべての仕事はしない。どんなに無能な人にもやる仕事は残る。
・差額地代説→限界説
・労働価値説→値段はそれを作る労働によって決まる。
・三階級→労働者、資本家、地主
・多産業→一農家、多くの製造工業、
・一労働市場の経済
■ケインズの経済モデル
市場に持って行ったものはすべて売り切れる
個々の市場では成り立たないが、一国の市場全体を考えると成立する
nationalを国民と訳すのは、直訳で、アメリカ合衆国全体という意味
単位はマイクロでは消費者と企業、マクロでは一国の経済全体
有効需要の不足があれば必ず失業が起きる。
波及効果(間接効果)は直接効果の四倍になることを乗数効果といいこの理論を乗数理論という
ハーヴェイ・ロードの仮説
→ケインズ政策が効力を発揮するために役人が清廉潔白で十分に有能であると厭う仮説が満たされなければならない
バブルの背後に、フェティシズム(物化、物神崇拝)がある。
ユーフォリア(陶酔的熱病)がバブルを生み出す。
バブル過程はスパイラル・プロセスで表される。
つまり、原因と結果の関係、お互いに原因となり結果となる関係を表す。
■ヴェーバーモデル
・エトス(行動様式)
→ethics(倫理)からsがとれた、倫理みたいなもの
・伝統主義
→よいか悪いかは問わず、昨日まで行われてきたというだけでそれを正当化する
・行動的禁欲
何かをしないことではなく、
他のすべてのことを断念して、ある目的達成のために唯一つの行動に全エネルギーを投入しつくすこと
カトリックは信者に聖書を読ませなかった。
読めば、カトリック教会がやっていることがインチキ、
つまり、宗教儀礼によって罪が許されるということは
聖書には書いていないことがばれてしまうからである。
プロテスタントは、これは聖書に違反するとした。
カトリックは聖書を読ませないで、
セブン・サクラメント(七つの秘蹟)、洗礼、聖体、堅信、婚姻、告解、悔悛、叙階、品級、終油
を行い、聖書を読まなくても神父が行う宗教儀礼によって
神の救済がなされるとしていた。
ウェーバーは、
キリスト教の本来の姿に回帰させたのが宗教革命だとしている。
本来のキリスト教への復帰すなわち、宗教の合理化を行った
プロテスタントの倫理こそが資本主義の精神を作った
と述べている。
予定説とは、神によって救われるかは、天地創造の時にこの人は救うかどうかを
神がきめてしまっているという考え方。
中国では資本主義が生まれなかった。
戦時中、日本のマルキストは転向されられたが、
内心では社会主義が良いと思っていたため、
つまり、戦争を転機に日本は社会主義になった。
日本社会はタコつぼ型
→会社が違うと特定の習慣を作ってしまう
規律、戒律が嫌いな日本人は、
無規範宗教であるキリスト教はすんなり入ってこれたが
規範だらけのイスラム教は入ってこれなかった。
仏教は戒律を根本としている。
戒律こそ悟りを開くための方法である。
そして、天台本覚論では、迷ったまま成仏できるとした。
つまり、修行がいらなくなった。
イエスやマリアの絵も像も被造物に過ぎない。
しかも、元来キリスト教ではつくることを禁止されている。
つまり、踏んづけようがかまわないものだった。
歴史を顧みて、いまだにドイツと同盟を結んで得をした国は一つもない。
ドイツが最後まで同盟に忠実だったこともない。
ドイツと同盟を結ぶというプランが枢密院に諮問されたときに、
時の枢密院議員のほとんどは反対していた。
「われわれは三国同盟には反対である。ところが、時代の推移が事ここに至った以上、終結やむない」
と決議した。
明治時代には、神話を歴史として教育していた。
承久の乱を契機に、予定説(天皇絶対主義)は死んで、因果律(善政主義)が世で支配的となった。