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モンゴルの歴史

 

モンゴルの歴史[増補新版] (刀水歴史全書59)

モンゴルの歴史[増補新版] (刀水歴史全書59)

 

 

キルギズ人はブルート(火薬)と呼ばれ、火縄銃手であり、ジューンガル帝国は彼らの敵でありつつ、ジューンガルの配下で清(乾隆帝)と戦った。


バートル・ホンタイジ従兄弟

 

日本に蹄鉄技術や去勢技術が入ってきたのは、幕末で、騎馬民族ではあったなら、ありえないことで、この点から、「騎馬民族説」は否定される。

 

世界史上はじめて名前の知られる遊牧騎馬民は、紀元前一千年ごろ、今はウクライナの国土である黒海北岸の草原にいたといわれるキンメリア人。
キンメリア人は、東方から移動してきたスキタイ人に追われて、紀元前八世紀の末にカフカス山脈をこ えてアナトリア(小アジア)に入り、アッシリア帝国を脅かしたのち、紀元前七世紀末には消滅した。
これにかわって黒海北岸を占拠した遊牧騎馬民スキタイは、西は現在のドニエストル河から東はドン河まで住んでおり、西から、農耕スキタイ、農民スキタイ、遊牧スキタイ、王族スキタイに分かれていた。

カスヒ海の東、アラクセス河(ヴォルガ河)のかなたの大平原に、マッサゲタイ人という遊牧騎馬民が住んでいた。スキタイ人はこのマッサゲタイ人におわれて、アラクセス河を渡り、黒海北岸に移った。

秦の始皇帝が死ぬと、北方の陰山山脈の匈奴部族の冒頓単于が、東の遊牧民東胡を服従させ、西の月氏を討って、モンゴル高原を統一。
漢の武帝の時代に匈奴は分裂し、鮮卑の勢いが盛んになり、北匈奴フン族を西方に追いやる。
パジリク古墳に埋葬されていたスキタイ人(サカ)は、匈奴に追われた大月人。

 

魏王曹操は、内モンゴル西部の南匈奴支配下に入れ、内モンゴル東部の烏桓(鮮卑)を征服。
八王の乱で、五胡十六国時代がはじまり、五胡とは匈奴鮮卑・羯・氐・羌の遊牧民で、十六の国を建てた。
439年、鮮卑族の拓跋氏が北魏を建国。
高歓と宇文泰により別々の皇帝が擁立されて東魏西魏に分裂し、高氏の北斉と宇文氏の北周がそれぞれに取って代わることで滅んだ。

 

突厥
552年に柔然から独立すると、部族連合である突厥可汗国(突厥帝国)などと呼ばれることもある)を建て、中央ユーラシアの覇者となる。582年には内紛によって東西に分裂した。
突厥が現在のトルコという民族名の語源
現在のトルコの前身はオスマン家によって建国されたオスマン家帝国
アナトリア半島北東部を支配した初代オスマン1世はモンゴル軍の出身

 

契丹
拓跋部ではない宇文部から古くに分かれた東部鮮卑の後裔
10世紀に耶律阿保機が登場し、八部を纏め、916年に唐滅亡後の混乱に乗じて自らの国を建て、国号を遼とし、契丹国皇帝となった。
東の満州女真族が台頭し、1125年に宋の誘いを受けた女真族の金により遼は滅ぼされた。


金帝国
女真族とは、トゥングース系の言語を話す狩猟民で、黒水靺鞨の後裔。
渤海国が926年キタイに滅ぼされると、
キタイの太祖耶律阿保機の長子耶律突欲が東丹国を建国。
突欲は父の死後、キタイに帰り、渤海国の支配者が不在になった。
そこを
12世紀はじめに完顔部の阿骨打が出て女真の統一を進め、1115年に遼から自立して金を建国した。
金は遼(キタイ)を攻め、宋も滅ぼした。

 

パスパ文字
チベット文字を縦書きにして、上から下へと縦に綴る。
母音を独立させて私印の下に書く。

ロマノフ朝
リューリク朝は1598年1月、フョードル1世の死で断絶した。以後、ロシアでは皇位をめぐる動乱期に入り、その中で16世紀末のフョードル・ニキーチチ・ロマノフの代にロマノフ家が台頭して動乱期を制し、その息子であるミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフが1613年に推戴されて初代ツァーリに即位した。


ロシアの起源となったルーシとは、もともとはスカンディナヴィアのノルマン人を指す言葉で、9世紀にルーシのリューリク三兄弟がやってきて、ノヴゴロドキエフを支配したのがロシアの起こり。


1237年、黄金のオルド(ママイ)にモスクワは支配される

1381年、クリコヴォの戦い
1380年、モスクワ大公ドミートリー1世(ドミートリー・ドンスコイ)の率いるルーシ諸侯連合軍が、ジョチ・ウルスの事実上の支配者ママイの軍とそれに同盟したリトアニア大公国・ルーシ諸侯などの連合軍を破った。

 

モスクワのツァーリは東方のモンゴル族からチャガン・ハーンと呼ばれていた。
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「チャガン=ハーン(察罕汗)」とは、モンゴル語で「白いハーン」を意味する言葉で、ロシア皇帝ツァーリ)を指し、当時の清朝でもその呼び名をそのまま使っていた。これは、ロシア帝国の源流であるモスクワ大公国が元々ジョチ=ウルス(キプチャク=ハン国)の属国であり、モンゴル人からはジョチ=ウルスの継承国家とみなされていたことによる。本文でも、モンゴル貴族であるサガン=セチェン著の『蒙古源流』を引用する形で、ロシアの始祖はジョチ(チンギス・カンの長男)であるとしている。
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コサック
「群(社会)を離れた者」という意味のトルコ語から来た言葉。
黄金のオルドが分裂した後、ジョチ家の支配から離れてロシア正教徒になった遊牧集団が起源。


ハラチンのジャサク郡王グンサンノルブ
愛新覚羅善耆(粛親王)の妹善坤の夫
河原操子が家庭教師


ブリヤート人

カルムィク人


1992年にはモンゴル人民共和国から「モンゴル国」と改称し社会主義の放棄