脳は気難しい召使に過ぎない
人はみな、本来、自由の感覚、意思を持っている。現代の哲学、科学、テクノロジー、経済が自由に影響を与え、自ら欲望の奴隷と化した。
「人間の意志」と「動物の欲求」を同一視してしまった結果、カントの「自由意志」とは異なるものになり、人間は自ら人間性を破壊し始めている。
人は、数値が表すような「生存の条件」よりも、「生きる意味・目的」のほうを重視しており、各人がそれを味わうことのできる「倫理的社会」の構築に向かうべきだ。
AIは「現実を意味あるものとして認識できない」
現実は五感を駆使した「感覚=思考」によってこそ認識される。
目次
序章「欲望の奴隷」からの脱出 (丸山俊一)
I章 自由意志のパラドックスを解くーカントから考えた「SNS社会のワナ」
複雑性が私たちを不安へと駆り立て、リアルを歪める
どんな社会システムも複雑性を抱えている
自由とは?―哲学はある概念が本来何であるかに答える
カントによる「自由意志」はどこまでが「自由」か、問題提起する
他者への認識と想像力まで含んだ意志が、「自由意志」である
意志の調整の最適化としての「自由意志」が働けば、自由=道徳となる
「自由意志を欲する自由意志」こそが民主主義
マンハッタンには自由の「イメージ」が乱反射する
不完全なミラーリングによって、自由が絶えず自らを攻撃する
理想の「自己イメージ」を投稿するSNSは、自由意志を損なう
フェイスブックは、あなたを不自由にすることなくあなたを知る
ソーシャルネットワークへの参加は、報酬ゼロの労働
人間の自由の心臓部を破壊することなく攻撃する――ソーシャルネットワーク
欲望は満たせても欲することはできない―自由意志はない?
自由意志と決定論は両立する
決定の連鎖の中にある意志
ガイスト=精神があなたの主体性と現実をつなぐ
神と同化するか動物的欲望に堕ちるか
物理法則という「必要条件」の中にある私たち
自分より大きな何かと同化することが、人間性を破壊する
「自由意志」があるからこそ、「際限のない消費」という「悪」も植えつけられる
「未来の自由」のために、現在の善悪を見極めるということ
自由の本質を知れば、未来を変える自由を行使できる
Ⅱ章 闘争の資本主義を越えて――「ヘーゲルから考えた「格差社会のリアル」
マンハッタンの高層ビル、四四階からの光景が教える「闘争」
社会とは「コミュニケーションのやり取り」であり、「関係性」である
ホッブズ「万人の万人に対する闘争」のルソー「個人に先立つ社会」
ホッブズとルソーの間にある自律/自治の社会
あなたの視点を私の視点に取り入れることで、社会はすでに成立している
ヘーゲル「承認の闘争」を踏まえ、社会システムに対する新たな視点を導入せよ
「社会は家族ではない」アメリカ経済―経済学の前提にある誤謬
「誰も社会全体を理解できない」――複雑性のリアルを受けとめよ
「前近代のモデル」への回帰が、繰り返される「悲喜劇」を起こす
生存とは異なる、「意味の形態」としての生活
人生における「意味の探求」は、幻想ではない
社会を「複雑な関係性」として、多様な視点の存在を理解する
お金とは「抽象度の高い社会的な測定単位」である
お金は、測定する「質的な決定」には盲目的だ
自分の人生の意味と、他人の人生の意味の関係性を測ること
ベーシックインカムと持続可能性がベースとなる「生存」条件
民主主義は、物事を正しく行う可能性を高める真理の体制
「八百万の神」の国・日本からの学び――普遍性ある哲学の構築へ
Ⅲ章 思考感覚が「引き裂かれた社会」を救う――新実在論から考えた「AI社会の死角」
人間は同じ人間というだけで、どうして同じ感覚を共有できるのか?
人工知能は、人間が作った効率的な問題解決の道具である
問題を発見できないモノは知的ではない―AIもハンマーと変わらない
処理の過程をいくつかのステップに分解する、アルゴリズム
ルールで機能しながら、ルール変更することで知的に「見える」AI
判断の理由がわからないままに暴走する機械の恐怖
私たち人間にあってAIにはない、進化の歴史
生命体であれば、人工物であるAIは信頼できないはずだ
「現実」と「現実のイメージ」のあいだにある違いの感覚を、AIは持てない
一部の法則に辿り着けば、宇宙全体を知ることもできる感覚思考
「思考感覚」|思考も感覚の一つであると考えれば他者への姿勢も変わる
「思考も感覚」と仮に考えれば、感じられる現実はすべて表象される
ヘーゲル「精神現象学」が教える―主観と客観を越えるリアリティ
観念論を批判的に継承するとき――「新実在論」の実践的意味
プラトンから現代に到る、感覚と思考を明確に分類する伝統的な考え方
思考とは、すでにそこにある感覚を見つけ一緒に把握するものである
自己イメージとの闘い
AIについて考えることで、あらためて甦る民主主義の価値
哲学者としての責任感が恐怖を上回る―だから問われれば答え続ける
言葉と思考を示すことで社会の課題を減らすのが、哲学者の使命
Ⅳ章 フェイクの共同体が壊れるとき――「複雑性の国」日本の可能性対話者 : 斎藤幸平
1 「人生が夢かもしれない」夢からどう目覚めるのか?
フィクションの中で生かされていることを自覚するために
蔓延するプロパガンダのパラドックスを解き明かす
人間の特殊性を認識しないと、幻想に囚われ無責任になる
2 最新テクノロジーを使用する条件
科学技術へのアカデミズムの危険性とイデオロギーの関わり
哲学はいま何をすべきか?
3 スカイウォーカーか? ダース・ベイダーか?
4 日本はどうする?
教育で意識を変える?
中国のケースで考える――持続可能性と民主主義は共存するのか?
5 グローバル時代の哲学と日本
ニ一世紀の人類の理念とは?
自然の人間化から考える
日本の同質性
未来へ維持したいもの
日本社会への提言
終章 敵か味方かの「世界」を越えて (丸山俊一)
「社会の整体師」「社会認識の闘士」が、この時代に求められる理由
思考の礎にある、「自然主義批判」「ファシズムへの警戒」「ドイツ観念論」
「実存」「構造」を乗り越えるための「新実在論」
日本の思想との共振の可能性―大森荘蔵、そして和辻哲郎、九鬼周造へ
カントに倣いて三部作を批判的に継承――「私」は、脳ではない」
哲学者がメディアを通して語るということ――人間ガブリエルの肉声
映像を通して、哲学、時代を語るということ――そして対話は終わらない