「人間には「自由な個人」でなくなる自由がある」
はじめに
第1章 規則と自由
民法では、十分な行為能力を持たない者は保護の対象とされ、契約の世界から除外される。
契約の世界では、「個人」が意志を持ち、その意志の結果である契約を守り、契約に拘束されることができるという状態が維持される。
ロック
人々が(所有権を含む)生得の自然権を持ち、平等かつ独立な状態で平和に暮らす状態(自然状態)から出発し、その不便を解消するため、社会契約を結んで国家を設立する。
他人の財産を奪えば、自然権の侵害になる。
自らと自主的に契約を結んだメンバーだけを保護する支配的保護会社=超最小国家を出発点とし、独立人の存在がもたらす不都合を解消するため、独立人も保護の対象とする最小国家が誕生する。
ミル
多数者の専政から個人を守るため、国家・社会が個人の意志決定に介入できる限界として、他者に危害が及ぶのを防ぐこと(他者危害原理:この原理では、逆に言えば、当事者の同意があれば不道徳行為も許される)をおいた。
個人は、あらゆる属性と無縁に、それ自体として完全・唯一・独自のものであるが、市場では、交換のため、それが一般的な概念を用いて描写される。こうした一般化を拒絶し、それぞれの個人を唯一者として扱うべき。
積極的自由と消極的自由という2つの概念を対比させ、一定の留保の下で、消極的自由の優位を主張。積極的自由は、政治的決定を通じて、自己決定・自己支配を貫徹することを意図する。
消極的自由のみを純粋に守ることはできず、一定の積極的支援が必要である。
第2章 監視と自由
ポル・ポトを正体を隠しつづけた。相手に見られることなく、見る。一方的にみられていることによって、監視者に従属させられる。
オスカー・ギャンディの「パノプティコン的分類」
収集されたデータによって人間集団が様々な消費者類型へと分類され、それぞれの経済的価値に応じた扱いが効率的に割り当てられ、不平等が生産されていく過程
監視社会の最大の問題は、剥き出しの人間が相手とされず、個人が情報の集積へと還元されてしまうこと。
規制する手段として、法、市場、社会規範、アーキテクチャという4つのモードがある。法や規範では、規制手段への意識があるのに対し、アーキテクチャは、意識を必要としない。
(アーキテクチャによる規制のひとつである)監視システムは、無実であることを証明する義務を負わせる。
(法や規範による)事後規制は、正当化の可能性を開き、自由は確保されるが、最初の犠牲者を止めることができない。
アーキテクチャは自由を奪うことになるが、安全であり、それが可能にする将来の自由である。監視の背後には、人々を幸福にしたいという(設計者の)信念や善意がある。
第3章 責任と自由
中世刑法
→干渉性、恣意性、身分性、過酷性
近代派刑法学では、罪刑は教育の意義を持ち、その一方で、改善不能な状態犯人は隔離される。
アーキテクチャによって「正しいこと」が自動的に強制される社会では、新しい創造はあり得ない。逸脱が新しい創造となるには、その逸脱が社会に承認され、反復されることによって制度化される必要がある。
「自由な個人」だから帰結の責任を負わねばならないのではなく、責任を負うときに・そのことによって「自由な個人」になる。
シャリアビンステーキ
肉を柔らかくするためによく叩いて薄くした牛肉をタマネギのみじん切りに漬け込む