グーグルやツイッターからルソーを読み替えた「一般意志」の新しい定義。
※twitterなどの情報を議論の場でワードクラウドで表示し、それをみなが熟議すると
政府2.0は市民の無意識を吸い上げながら、市民のあいだの意識的なコミュニケーションを活性化させる。これを無意識民主主義というのであろう。
集合知を支える二つの定理
・多様性予測定理
・群衆は平均を超える定理
民主主義は熟議を前提とする。しかし日本人は熟議が苦手と言われる。
それならむしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据える新しい民主主義。
一般意志も全体意志も、複数の個人の意志、つまり、特殊意志の集合。
一般意志(一般化された意志)が決して誤らないのに対して、全体意志(みんなの意志)はしばしば誤る。
一般意志は共通の利害に関わり、全体意志は私的な利害の総和。
全体意志は個別意志を集めたもの。
全体意志は特殊意志の総和。
一般意志は、全体意思を構成する特殊意志から、相殺しあうプラストとマイナスの
差異の和。
一般意志は、人間が作り出す秩序の外部にある。
社会的契約は、無数の自由な個人が集まって、たがいに監視し暴力をふるいあう不安定なコミュニケーション=自然状態の外側に、一般意志という新しい基盤、新しい環境を生み出す儀式。
コミュニケーションなき政治、あるいはコミュニケーションの外部にある政治。
意志はフランス語のvolonteの翻訳で、日本語では日常では使わない。
日本語の意志と意思は業界ごとの風習の違いであまり大きな意味はない。
一方、フランス語では用法の広い基礎語彙で「欲する」を意味する日常的な動詞で、
コーヒーをvoloirという表現も奇異ではない。
つまり、一般意志というよりも一般要求というくだけた「均されたみんなの望み」となる。
twitterの個々の行為は意識的だが、データは無意識の欲望の塊。
つまり、一般意志はデータベースだ。
無意識のデータベースとしてグーグル、ツイッターなどのネット社会が「アーキテクチャ(情報環境の設計)」を提供してくれている。
一般意志2.0は情報環境に刻まれた行為と欲望の履歴→twitter
政府は一般意志の公僕であり、政府は主権を持たない。民意を代表することもない。
主権はあくまでも人民の一般意識に宿る。
政府2.0は一般意志2.0のしもべであり、市民の明示的な意志表示(ルソーの全体意志)ではなく、情報環境に刻まれた行為と欲望の集積、人々の集合的無意識=一般意志に忠実でなければならない。
無意識に導かれる政府
一般意志2.0は無意識の欲望の集合
→→twitter→意識された合意の集合ではなく
政府2.0は市民の無意識を吸い上げながら、市民のあいだの意識的なコミュニケーションを活性化させる。
政府1.0は一般意志の代行機関
政府2.0は意識と無意識、熟議とデータベース、複数の小さな公共と可視化した一般意識が衝突し、構想する場。
熟議とデータベースが抗争する場、公共的な意識と可視化された無意識が衝突する場が新しい政府の姿。
アレキサンダーの提案(デザインパターン)を、デザインを決定するのではなく、デザインに制約を与える方法論として理解する。
アレキサンダーの26のパターンには、利用者の欲望や行動履歴はまだ含まれていなかったが、今日では利用者の欲望地図を描くことができる。
これを27つ目のパターンとすれば、誰も望んでいない道路があきらかになり、
政治家がいくら画策しても無駄になる。
直接民主主義でもなく、間接民主主義でもない、無意識民主主義。
熟議民主主義には限界がある。
→ネットワークを介し、市民同士がとことこ話し合う
データベース民主主義にも限界がある。
→巨大データベースを構築し、膨大な数のデータさえ集めればあとは集合知によって最適解が出てくる。
これらを組み合わせたのが民主主義2.0
人間と動物、論理と数理、理性と感情、ヘーゲルとグーグル、さまざまな対立を「アイロニー」で併存させ、接合したところに民主主義2.0が現れる。
熟議民主主義をコミュニタリアニズム(共同体主義)の電子版
データベース民主主義をリバタリアニズムの電子版とすると。民主主義2.0は、リベラル・アイロニズムの電子版となる。
基礎所得は現金ではなく追跡可能な電子貨幣として支給される。