akon2.00βのよっぱらいの戯言

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類推の山

 

 

第一章 出あいの章

象徴的な山――これを私は〈類推の山〉と名づけようと提案していた――の縮尺を決定しているもの、それは、人間の通常の手段では近づけないということにあるのだ。(中略)ヒマラヤの最高峰の数々ですら、こんにちでは接近不可能だとは思われなくなっている。こうした山々はどれも、したがって、類推の力を失っているわけだ。」
「「ある山が〈類推の山〉の役割を演じることができるためには」と私は結論していた。「自然によってつくられたありのままの人間にとって、その峰は近づきがたく、だがその麓は近づきうるのでなければならない。それは唯一であり、物理学的に実在しているはずだ。不可視のものの門は可視でなければならない。」

 

この人物の考えかたのなかには、(中略)たくましい成熟と子どものような清新さとの奇妙なまじりあいがあった。

 

 

 

「まだ若かったころ」と彼はいった。「私は社会的動物としての人間に味わうことができるほとんどすべての快楽と不快、ほとんどすべての幸福と苦悩を知ってしまいました。(中略)私はある日のこと、生涯のひとつのサイクルをおえてしまったと確信すると同時に、自分はひとりなのだ、たったひとりなのだと感じたものです。(中略)生活はいわば有機体が異物をうけいれたときのように私に対していた――つまりどう見ても、私を膿(うみ)として貯えるか吐きだすかしようとしていたし、私は私で「ほかの何か」に渇えていたということです。

 

 

 

私たちは黙って食事をした。あるじは、物を食べるときに喋る義務があるなどと思いこんではおらず、(中略)なにもいう必要がないときに口をとざすことも、話をする前にじっくり考えることも、彼の怖れるところではなかった。

 

 

 

「どうも思春期のころになると、若者の内的生活は急に鈍くなって、生まれながらの勇気をうばいさられてしまうようです。思考はもはや現実あるいは神秘を前にして、直接正面から立ちむかう勇気を失うのです。「大人」の物の見かたを通して見たり、本や先生の講義を通して見たりしはじめます。それでもまだ完全にはおしころされていないひとつの声が、ときおり(中略)自問の叫びをあげることもありますけれど、私たちはすぐにそれをもみけしてしまうのです。(中略)私は、自分は死を怖れているとあなたにいえます。(中略)瞬間ごとに見まわれるあの死を、私のばあいにも幼年時代の奥底から「おまえは何なのか?」と問いかけてくるあの声の死を――私たちのうちでもまわりでも、たえずそれをおしころすために一切が仕組まれているらしいあの声の死を、私は怖れているのです。あの声が語りかけてこなければ(中略)私はうつろな骸骨、動く死体にすぎません。いつの日かあの声が永久に黙してしまうのを(中略)私は怖れているのです。」

 

「あなたの〈類推の山〉についての記事には啓発されました」と彼はつづけた。「それは実在します。私たちは二人ともそのことを知っている。だから、発見しましょう。どこにですって? そんなのは計算の問題です。二、三日のうちに、その地図上の位置を、ほとんど誤差数度のところまで割りだしておくとお約束します。そして、すぐに出発しようじゃありませんか。

 

「ええ、でも、どうやってですか? どんな道を通り、どんな乗物をえらび、どんな資金を使ってですか? どれだけ時間をかけてですか?

 

「そんなのはどれも些末なことです。それにきっと私たちだけではなくなります。二人の人間が三人目を説きふせれば、雪だるま式にふえてゆく――あわれな人間どもが「良識」と呼んでいるものを考えに入れなければならないにしても、です。」

 


町に出てみると、なにか異邦人のように足が地につかない感じで、バナナの皮ですべったり、トマトの山をひっくりかえしたり、汗水ながす小母さんたちとぶつかったりしてしまった。

 

こんなふうにして〈類推の山〉探検計画は生まれた。(中略)このときまで知られることのなかった、ヒマラヤよりもはるかに高い山々を擁する一大陸がこの地上に実在することが、どのようにして証明されたのか。それはどうしてこれまで人目にとまらなかったのか。私たちはどのようにしてそこに上陸したのか。そこでどんな人物たちに出あったのか。(中略)私たちはどのようにしてこの新大陸に、すこしずつ、いわば根をおろすことをはじめたのか。それにしても、どうしてこの旅は、なかなかはじめられなかったのか……。
 空中はるかに高くはるかに遠く、いよいよ高まる峰といよいよ白む雪の環を幾重にも越えたかなたに、眼に耐えられぬ眩暈(くるめき)をまとい、光の過剰ゆえに不可視のまま、〈類推の山〉の絶頂はそびえたっているのだ。


第二章 仮定の章

「地球上のどこかに、少なくとも周囲数千キロメートルにおよぶ陸地が実在しており、その上に〈類推の山〉がそびえている。この陸地の土台は、周囲の空間を歪曲させる特性をもった物質でできているため、いわばこの界域全体が、なにか歪んだ空間の殻にとじこめられたようになっている。その物質はどこから来たものでしょう? 地球の外に起源をもつものでしょうか? それとも地球の中心の、その物理的性質がほとんど知られておらず、(中略)そこではどんな物質であれ固体状態でも液体状態でも気体状態でも存在することはできないとしかいいようのない、あの領域から来ているのでしょうか? (中略)そのうえ、さらに私たちが推論することができるのは、この殻は完全にとざされたものではありえない、ということです。それはいろんな天体からやってくる(中略)ありとあらゆる放射能をうけいれるために、上のほうでひらいていなければなりません。また惑星内部の厖大な質量をもつつみこんでいなければならず、しかもおそらく、おなじ理由から、中心にむかってもひらかれていなければなりません。」」
「「かなり広い、なかに入れない歪みの環があって、(中略)この国を、見えない、触れられない外郭でおおっているのです。そのおかげで、けっきょく、すべてはあたかも〈類推の山〉が実在しないかのように生起します。(中略)ここにAからBにむかう船の進路を示しましょう。Bには灯台がある。(中略)その光は〈類推の山〉にそって迂回してくるわけで、私は灯台と私とのあいだに、高い山々におおわれた島がよこたわっていようなどとは夢にも思わないでしょう。(中略)空間の歪みが星の光も地球磁場の力線も彎曲させてしまうので、六分儀と羅針盤を使って航海していながら(中略)いつまでもまっすぐに進んでいるものと思いこみつづけるでしょう。(中略)ですから、この島はオーストラリアほどの大きさでもおかしくないわけで、これまでだれひとりその実在を知らされたことがなかったという理由も、いまや完全に理解できるのです。おわかりでしょうか?

 

 


 ミス・パンケーキは、歓喜のあまりとつぜん蒼白になった。
 「でも、それは魔法の環のなかのメルランの物語ですわ! (中略)目に見えない、どこにでもある囲いのなかで、メルランが私たちの目から隠されているのは、彼の本性そのもののせいなんですね。」

 

――島に踏みこむ手段を見つけだすためには、いままでとおなじように、原則としてそこに踏みこむことの可能性、いや必要性を想定してかからなければなりません。ゆるされるただひとつの仮説は、島をとりかこむ「歪みの殻」が、絶対に――すなわちいつでも、どこでも、だれにでも――越えることのできないものではない、ということです。あるとき、あるところで、ある人々が(知っている、そして望んでいる人々が)、入れるということです。


第三章 航海の章

空虚人(うつろびと)と苦薔薇(にがばら)の物語」より

 

うつろびと というのは、石のなかに住み、旅をする洞(ほら)のように動きまわるものです。氷のなかでは、人間のかたちをした水泡(あぶく)のようにさまよいます。でも、風にとばされてしまうといけないので、大気のなかに出ようとはしません。

 

 


昼のあいだは石のなかにいますが、夜になると氷のなかにさまよいでて、月光をいっぱいにあびてダンスをします。でもけっして日の出を見るまではいません、そうでないと破裂してしまうからです。


ある者たちのいうには、これはいままでもこれからも、永久に存在するものです。ほかの者たちのいうには、これは死者たちなのです。もっとほかの者たちのいうには、生きている人間はみな山のなかに、ちょうど剣が鞘(さや)をもち、足が足跡をもつように、それぞれ自分の うつろびと をもち、死んでからそれにはまりこむのです。


第四章 到着の模様、そして貨幣の問題がはっきりと示される章

ここでは、麓では稀だが高く登るにつれてしだいに数多く、透明で極度に硬い、球形でいろいろな大きさをした、ある種の石が発見される――正真正銘の結晶、しかし、惑星のここ以外の場所ではとほうもない未知の事態に属するのだが、それはなんと、曲った結晶である! (中略)これをペラダンと呼ぶ。(中略)透明度はきわめて高く、その屈折率は、結晶密度の大きさにもかかわらず、空気のそれにごく近いので、予告をうけていない眼にはほとんど知覚できない。それでいて、真摯な願望と多大な欲求をもってそれを探しもとめる者にとっては、露のしずくに似た炎の輝きとともにあらわれる。

 

〈猿の港〉の温和な気候は、私たちの国とおなじ動植物の生存に適しているが、それ以外の未知の種類にも出あうことがある。なかでもとくに奇妙なものを挙げてみると、たとえば ひるがおのき は、きわめて強い発芽・生長力をもっているので、整地工事用に岩山を割りくずすために――ゆるやかなダイナマイトといったふうに――用いられる。もえきのこ は、大きな埃茸(ほこりたけ)の一種で、胞子が熟すると破裂して遠くへ散乱し、何時間かたつと、強烈な発酵作用のために、とつぜん火がつくというものだ。ものいうやぶ はかなり稀少だが、含羞草(おじぎそう)の一種で、果実がいろんなかたちの共鳴箱になっているため、葉の摩擦によってあらゆる人間の声音(こわね)をつくることができ、近くで発音された言葉を鸚鵡(おうむ)のようにくりかえすのである。わまわしむかで は、ほぼ二メートルの長さになる節足動物で、輪のかたちにまるまっては、好んで崩れた岩の斜面を上から下へ、全速力でころげおちる。ひとつめとかげ は、カメレオンに似ているが、額にカッと見ひらいた眼をもち、そのかわりほかの二つの眼は退化してしまっていて、老紋章学者といった風貌にもかかわらず、周囲から大きな敬意をむけられている動物である。最後にはなによりも、ふうせんけむし――お天気のときには、数時間かけて、内臓でつくられる軽いガスによって大きな気球をふくらまし、空中にうかびあがる蚕の一種――を挙げよう。これはけっして成虫の状態にまで行きつかず、しごく単純に、幼虫の単性生殖によって繁殖するものである。

 

こうした雨のそぼふる日々のあいだに、私たちはおたがいに名前のほうで呼びあうようになっていた。(中略)私たちはめいめいの古い人格を脱ぎすてはじめていたのだ。かさばる道具類を海岸にのこしてゆくと同時に、私たちはまた、芸術家や、発明家や、医者や、学者や、文学者としての自分をも捨てさる用意をしていたのだ。めいめいの変装の下から、男たち、女たちは、すでに自分のほんとうの顔をのぞかせつつあった。男たち、女たち、そして身中のあらゆる動物たちもまたそうであった
 ピエール・ソゴルがまたしても私たちに模範を示した


「私はみなさんをここまでつれてきました、私はみなさんの隊長でした。いまここで私は飾り紐のついた隊長の帽子を脱ぎます、これは私自身の記憶にとっては茨の冠だったのです。私自身の記憶にかきみだされていない心の奥底で、ひとりの幼い少年がめざめ、いまや老人の仮面を泣きじゃくらせています。父母を探しもとめている少年、みなさんとともに、援助と保護とを――快楽や夢からの保護と、だれの真似もしないありのままの自分になるための援助とを――探しもとめているひとりの少年が。

 

 こういいながらピエールは、棒の先で砂を掘りかえしていた。とつぜん眼を一点にそそぐと、彼は身をかがめて、何かを――微細な露の一滴のようにきらめいている何かを、拾いあげた。それはペラダンだった――小さな小さなペラダン、だが彼の、私たちの、最初のペラダンであった。


覚書

さて、私たちは(中略)この大陸に到着したのだが、(中略)私たちの計算(中略)によって、私たちの欲求(中略)によって、私たちの努力(中略)によって、私たちはこの新世界の戸口を押して入った。そんなふうに思えたのだ。けれどもまもなくわかってきた――私たちが〈類推の山〉の麓に上陸できたというのは、じつはこの不可視の国の不可視の門を、それを守っている人々が私たちのためにひらいてくれたからなのだ、と。

 

 

目次:

類推の山
 第一章 出あいの章
 第二章 仮定の章
 第三章 航海の章
 第四章 到着の模様、そして貨幣の問題がはっきりと示される章
 第五章 第一キャンプ設営の章

後記 (ヴェラ・ドーマル)
覚書――ルネ・ドーマルの遺稿のなかから発見された
     *
初版への序 (A・ロラン・ド・ルネヴィル)
     *
解説 (巖谷國士
文庫版あとがき (巖谷國士