akon2.00βのよっぱらいの戯言

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司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像

 

司馬遼太郎は講談だから仕方ない。

 

高杉晋作は黒船が再来した際に江戸にいた。

 

松下村塾は武士の塾。

 

吉田松陰井伊直弼を好意的にみていた。

 

永井暗殺に高杉晋作は関与していない。

 

高杉晋作は藩の許可なく蒸気船の売買契約を結んだ。

 

高杉晋作の武勇伝三点セット、三枚橋の中の橋(将軍専用)を堂々と渡る、箱根の関所破り、賀茂行幸は史実ではない。

 

高杉晋作の奇兵構想で、姓が許されたわけではない。

 

白石正一郎は豪商ではない。

高杉晋作のスポンサーは入江和作。

高杉晋作が挙兵したのは、長府の功山寺ではない。

 

日本で初めての新婚旅行をしたのは坂本龍馬ではない。龍馬と妻のおりょうが二人で南九州に滞在したのは史実だが、結婚式を挙げたのも、この旅の2年近く前。

 

 

薩長同盟の会談中、龍馬が桂小五郎を前に、いつまでも黙している西郷隆盛に「長州が可哀そうではないか」と一言告げ、これで薩長連合は成立したのではなく、会談中に内乱を避けるため、また長州の朝敵の烙印を消すため、薩摩が尽力する方向で折れており、龍馬が手を結ばせたという記録はない。しかも、会談自体も龍馬不在で始まっている(数日に渡って行われた会談の中で同席したことは事実)。

 

小倉戦争において、少なくとも二度目の海戦時、龍馬は下関におらず、龍馬が到着した時にはすでに長州軍勝利のうちに戦争は終わっていた。

 

海援隊は、海軍兵学校という側面をもつ。

 

いろは丸が紀州藩の船と衝突して沈没した際に、「万国公法」など使わずに事件を処理。「万国公法」は海上交通規則ではなく、実際には国際法と国内法との関係や領海の説明などが書かれた物。

 

船中八策は、横井小楠の国是七条をベースにしており、原文書どころか、当時の史料にもそれらしい存在が見当たらないため、後世の創作との説が有力。

 

新政府綱領八策
https://dl.ndl.go.jp/pid/3856383/1/1

 

 

龍馬とともに新政権の人事案を練った尾崎三良の回顧談(尾崎三良自叙略傳)では、
職制案として「参議」として「坂本龍馬」の名前はでてくるが、「勝海舟」の名前はどこにもなかったとされています。