数年前に私より年上でそれなりに名の知られている方から、「プログラミングが組めなくなったどうしょう」という不安を打ち明けられたことがあります。ここで、プログラミングをやめたらもう戻れなくなるのはしかたないけど、突然書けなくなったらどうしょうという不安をもっていられたようでした。「ズリィ」と言われた方の中にはこんな不安を抱えながら、でもこの橋をわたるのは怖いよなぁという方もいたのではないでしょうか。捨てるのはリスクというよりも、勇気ですね。さすがにハッタリしんちゃんは勇気をお持ちですが、なかなか捨てられないと思いますよ。少なくとも私は技術の看板(他人が偽りありといおうが)をおろすことはできません。
リスクなのは現場を離れることだと思います。大本営にいると戦況が読めず、(というのは改善しないといけないと思っていきますが、まさに上司は思いつきでものを言うの世界ですから)、火消しに行ったとき自分の武器が最新鋭だと思ったら、ここでは役立たないという怖さですね。
最近、久保秋さんとスクラムのメタファは間違っていると議論したのですが。企画もアーキテクトもラグビーの監督のように、プロジェクトが動き出したらその軌道修正はPMにゆだねるわけですよね。つまり、企画がすばらしかろうが悪かろうが成否は自助努力できないのに成果を出さないと行けない。これは、逃げるどころか挑戦ですよね。
で、「脱技術者」という宣言自体が逃げなんじゃないかなぁ。技術について語りながら、技術屋ではありませんは卑怯だと思います。技術的に責任持つんですよね。それならば、ぜんぜん、「脱技術者」じゃあないと思います。
PS
iモードなんて技術側が救った企画だと思う。あのおばさんの無知のおかけでどんだけの技術者が無意味に苦しめられたことか。しんちゃんはあんなおばさんのような企画屋は目指していないでしょ。それはそれで発想の転換という意味では技術屋にはできなかつたと思うけどね。