序章 「正義」と<Justice>似て非なるもの》
Justiceはもともと、「法」「権利」「正義」の3つの意味を兼ね備えていたラテン語の<ius>から派生した言葉であり、「法」との結び付きが強い。
現代の英米系の政治哲学の中心的なテーマになっている「正義」というのは、言うまでもなく、日本語の日常語として使われている、自らの信念にコミットして勇ましく突き進む"正義"ではなく、全ての当事者を一般的ルールに従って公正に扱う<justice>のことである。
英米圏の<Justice>→ルール・制度の範囲内、客観的
日本の「正義」→ルール・制度の範囲を超えて主観的
日本における「正義」という言葉は、一般的に主観的であり、日本のヒーローが自らのその信念に基づいてそれを追及するようなものである
英語の justice は客観的であり、法やルールに基づいて「公平に」judge されるも
のである。
つまり、正義論は具体的な制度を志向する
第1章 なぜ「正義」を問題にしたのか
ムーアはその行為がもたらすであろう結果から、つまり、どれだけ善(good)悪(bad)が帰結するかによって、行為の正(right)不正(wrong)が客観的に決定されるとしている。
ロールズは異なった利益=関心を持つ人々の間での、各人の経験を踏まえた理性的な議論で通して決定されるとしている。
功利主義は「最大多数の最大幸福」を正義の基準とする。
公正としての正義の二つの
・第一原理→ルールの範囲内において自由を保障
・第二原理→ルールの範囲内で許される不平等の程度
正義感覚→フェアに振る舞おうとする感覚で制度志向的な性質を持つ
憲法的自由による平等
各人の自由が平等になるように憲法が社会・政治構造を調整する
格差原理
→社会的・経済的にもっとも不遇な人たちの福利の向上が見込まれるかぎり許容される格差
フランス革命で掲げられた3つの標語、「自由」「平等」「博愛」がロールズの正義の2原理に対応していることが分かる―自由→第一原理、平等→第二原理(a)、博愛→第二原理(b)
無知のヴェール
→自他の能力や属性の違いを分からなくする仮想の装置
→人々が最初に「何が正義か」「何が法原理か」を決める場面を想定し、その場においては、人々は自分が何者で、どういう能力や地位・属性をもっているのかが分からない状態である必要がある
市民的不服従
→制度の安定化に寄与
①通常の異議申し立てをしているにもかかわらず、相当期間にわたり意図的な不正義の下におかれている場合
②その不正義が平等な市民の諸自由に対する明白な侵害である場合
③同じような異議申し立てをすることが一般に行われたとしても、受容可能な結果がもたらされる場合
ロールズは、多数派の制定した法の正当性を認めない「市民的不服従」という行為に、「立憲民主制」あるいは「法の支配」を正常に機能せしめるための補正装置としての地位を付与したことで、リベラル派の論客としての立場を明確にすることとなった。
第2章 「自由」と「平等」の両立を目指して―『正義論』の世界
原初状態→不公平で偏った判断をしないよう「無知のヴェール」に覆われた状態のこと。
無知のヴェール→西欧諸国で裁判の正義の象徴として裁判所などに飾られている、剣と秤を持った「正義の女神」の彫像や絵画が、しばしば目隠しをした姿をしていることとのアナロジー。
マクシミン・ルール→それぞれの選択肢を選んだ場合の結果の予想が複数ある場合、「最善の結果」や「結果の平均値」を比べるのではなく、「最悪の結果」が最もましなものを選ぶ。
反省的均衡
→理論と実践的反省を往復することで、より良い到達点へ
★第3章 ロールズの変容―『正義論』への批判を受けて
ケネス・アローの不可能性定理
「最も恵まれない人」を基準に考えるという点を、経済成長についての常識で曖昧にし、全ての階層の期待効用が同じ様に改善されると想定するのであれば、ロールズが拘っているはずの、マクシミン原理と、効用の総和の最大化を求める功利主義の区別は事実上消滅する。
「無知のヴェール」という装置を通じて、人間に本来備わっている二つの道徳的な力(moral power)が表現される。
①合理的になる能力→自らの善の実現を追求すること
②道理的になる能力→協働のための諸条件に配慮すること
各人の「善の構想」を実現するために必要な二つの道徳的な力が、「原初状態」と「契約当事者」たちに関する想定の中に既に含まれているので、彼等は必然的に、基本的諸自由を他の基本財よりも優先する形で保障する、正義の二原理に合意することになる。
構成主義→一定の規則に従っての推論を体系的に展開する中で、諸概念を導き出すことを特徴とする。↔「直観主義」
カント道徳哲学におけるそれと似た、道徳的能力を備えた人格を前提として組み込んだ構成的手続きに従って、第一原理を導き出すことを「カント的」と呼ぶ。
「道理的なもの」による「合理的なもの」の制約
→個人にとっての善(幸福)に関わる「合理的なもの」が、社会的協働の公正な条件に関わる「道理的なもの」による制約を受けることになる制度的枠組みが―「原初状態」での合意に従って―構築されており、ある市民がその枠組みに適合するように振る舞うのであれば、たとえ個人的な欲求によって動かされているのだとしても、「完全に自律している」と見なされる。
「合理的なもの」≒「経験的実践理性」
「道理的なもの」≒「純粋実践理性」→「実践理性の統一性」
「カント的構成主義」は、実践理性の二つの側面を、「原初状態」にある「契約当事者」たちの熟議の方向性を規定する「合理的なもの」と「道理的なもの」の関係に読み替えたうえで、制度の面から両者の―後者が全面的に優位になる形での―"統一"を図る試みと見ることができる。
「基本財」は、それ自体として各人の欲求を充足してくれる「財」であるわけではなく、「道徳的人格」が、二つの道徳的な力によって、自己の「目的」である「善の構想」を追求するために様々なやり方で利用することができる「手段」なのである。
形而上学的→深い価値観の一致。基礎あり。
政治的→民主主義的な一致。基礎なし。
「公正としての正義」は、西欧の民主主義諸国の伝統に適合する、現実的な「政治的構想」であって、歴史や地域を超えて普遍的に打倒する「真理」を現実化しようとしているわけではない。
重なり合う合意
→前提ではなく、結論だけのゆるい合意のこと。
→公共的な事柄に関して協働するためのプラットフォーム(だけ)を提供する。
第4章 「正義」の射程はどこまでか―「政治的リベラリズム」の戦略
政治的リベラリズム
→前提の共有は目指さず、結論の部分だけの合意を目指す。
道理に適った多元性→道理的に思考する市民たちに支持される道理に適った包括的諸教説が多元的に存在していること。
政治的構成主義→価値観・世界観の違いを越えて、公共的な事柄に関して協働するためのプラットフォーム(だけ)を提供する。
考え方の筋道がどうであれ、基本的な問題について、同じ結論に到達すればいい。そうした形而上学的レベルでの相互寛容によって、「重なり合う合意」が可能になる。
立憲的合意から「重なり合う合意」への移行には「深さ」と「広さ」、そして、その内容の特定化の3つの面での更なる発展が必要である。
公共的理性
→集団として物事を決める際に用いられる論理・推論、理由付け。
「公共的理性」が管轄するのは、社会全体に関わる意思決定である。
「公共的理性」によって制約を課されるのは、社会の「基礎構造」と「立憲的必須事項」をめぐる論議である。具体的には、誰に投票権があるのか、どの宗教が寛容されるべきか、誰が公正な機会均等を保障されるべきか、所有権を持つべきか、といった政治的価値によってしか解決できない問題である。
「公共的理性」は、「基礎構造」や「立憲的必須事項」に関連する市民たちの討論・探求が、「重なり合う合意」の核にある「正義の政治的構想」の枠内に留まるよう、制約を加えるガイドラインの役割を担っている。
「最高裁判所」の理性は、「公共的理性」の典型である。
(最高裁判所は)道理的かつ合理的な存在として全ての市民たちがコミットすることが期待される、「政治的諸価値」を公共的に呈示する教育的役割を果たしているという。
万民の法
→(諸国民ではなく)諸民衆 peoples を法の主体として多国間における「正義」を目指す。
各国民衆の間の協働の形態として、統一政府を持った「世界国家」ではなく、「結社」もしくは「連邦」が選ばれるであろう。
終章 「正義」のゆくえ―ロールズが切り開いた地平から
公正としての正義
→「リベラリズム」に哲学的バックボーンを与えるものとして期待されたのが、「原初状態」と「無知のヴェール」という道具立てによって、格差原理を正当化することを試みた。
「公正としての正義」は、功利性原理に代わって、「正義の二原理」をリベラルな政治哲学の基本原理にすることによって、「自由」「平等」「(経済的)効率性」の三要素を体系的に組み合わせる方法を呈示した。
これによって、古典的自由主義と、社会主義の両極の間で埋没することのない、第三の道が切り開かれた。
貯蓄原理
世代正義
良識ある民衆
諮問階層制