akon2.00βのよっぱらいの戯言

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本当の勇気は弱さを認めること

 

 

タイトルにもなっているDaring Greatly(果敢なる挑戦)という言葉はフランクリン・ルーズベルトがパリで行った「共和国の市民権」=「競技場に立つ人」という演説の中の言葉

 

「批判する人に価値は無い。観客席から行動した人間を指してどうすれば良かったとか、どんな風につまずき失敗したのかと指摘するだけの人に価値は無い。埃と血と汗にまみれて努力した競技場に立つ人に名誉は与えられるのだ。競技場に立つ人は、うまくいけば勝利を得るし、失敗すれば敗北を喫する。しかし、失敗し敗北したとしてもそれは果敢に挑んだ結果なのだ」


Vulnerability
傷つきやすさ、もろさ、攻撃や批判などを受けやすいこと

 

欠乏感の正体
①恥:人のせいにしたり責めたりすることが当たり前になっている。完璧さを重視している。平凡であることへの不安を感じる。
②比較:他人との比較、過去の美化された自分と現在の自分を比較する。
③関わる意欲の喪失:リスクを負うことや新しいことを試すことへの不安を持つ、存在を認めてもらえず苦しむ。


欠乏感に対抗できるのは、豊かさではない。「足る事を知らない」欠乏感の対極にあるのは、充足感であり「偽りのない心」なのだ。偽りのない心の中心には、ヴァルネラビリティと自己肯定感がある。確実なものがなく、脆さをさらし、感情的リスクを負いながらも、私はこれで良いと思える事である。

 

傷つく可能性と向き合う
ヴァルネラビリティを拒絶したくなるのは、不安・恥・悲しみ・失望などの暗い感情を連想するからだ。しかし、愛や帰属意識、喜び、共感、創造性は傷つく可能性からこそ生まれる。例えば、誰かを愛する時、私たちは心をさらけだすが、それは傷つく可能性を伴う。人生の大切な感情的側面を取り戻し、情熱と目的意識を燃え立たせたいなら、傷つく可能性と向き合う必要がある。

人はヴァルネラビリティから釈放される事はない。生きるとは、傷つく可能性があるという事なのだ。勇気ある挑戦をするには、傷つく可能性を受け入れなければならない。だが恥に怯え、人にどう思われるか気に病んでいては、生身はさらせない。

自分の価値を他人の評価に委ねた時、恥は人生をのっとり支配するようになる。「有能であれ、完璧であれ、人を喜ばせよ」という呪縛から逃れられなくなる。だが、恥とは何かを知り、恥から立ち直るスキルを身につけたら、シナリオは大きく変わる。

 

恥からの回復力をつける
私たちは人とのつながりや愛、居場所を求めるように生まれついている。人とのつながりは、愛や帰属意識と共に、私たちが存在する理由であり、人生に目的と意味を与えるものである。

恥とは、つながりが断たれる事への不安である。「私は愛されるに値しない」「どこにも居場所がない」という感情だ。人間は恥を感じる時、つながりを断ち切られたように感じ、必死で自己肯定感を取り戻そうとする。恥や恥への不安で心が傷つくと、自滅的な行動に走り、攻撃的になり、他人をも恥に引きずり込もうとしてしまうのである。

私たちは、恥から回復する力をつける必要がある。恥の体験を誰かに共感してもらえたら、恥はもはや無力だ。恥から回復するには4つの要素がある。

①恥に気付き、恥のスイッチを理解する
②冷静に分析する
③恥を受け入れる
④誰かに恥を話す


ジョハリの窓」から見る、自分の弱さを見せること
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レネー・ブラウン氏 TED TALK 「傷つく心の力」

https://www.ted.com/talks/brene_brown_the_power_of_vulnerability?language=ja