akon2.00βのよっぱらいの戯言

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二人の天魔王

 

信長は義教の劣化コピー。ラテラルシンキングのトレーニングになる。

 

江戸の庶民は徳川家康を知らなかった。

 

信長の人気が急上昇してスターになったのは戦後。

 

信長は海外出兵の構想など持っていなかった。

 

信長の非道なおこないとされる比叡山焼討や蘭奢待切りとりも義教がすでにやっていた。それだけでなく、茶、能、相撲、弓、示威行動としての富士遊覧等々、信長にあたえた影響はきわめて大きい。


永禄10年までの出来事は、信長礼賛者の太田牛一の作り話。

敦盛は舞っていない。

 

信長は嫡流ではなく、信行(信勝)が嫡流で、二人は異母兄弟である。同腹なのはお市だけ。したがって、信秀の葬儀にも呼ばれなかった。

 

信長の親族十人殺し

・広信

・秀孝

・信光

・信時

・信行

・信治

・信興

・信次

・秀成

 

茶々は信長の子


桶狭間は奇襲作戦でもなんでもなく、降伏すると偽って騙し討ちにしただけ

 

五カ条覚書は、日乗、明智宛に出された義昭の袖印判

信長が作成したとすると、自らの家臣日乗、明智宛に書き、そこに署名もせずに朱印した。義昭は信長の朱印を確認し、宛先が日乗、明智になっているにもかかわらず、黒印の袖印判し信長に返したということになる

 

義教は天台開闢以来の逸材だった。

したがって、僧籍から還俗するには大義名分が必要で、自らくじ引きを考えた。

このため、義円、義昭、永隆、義承のないから選ばれたいという出典が不明になっている。

義教は全国を遊行してまわる時宗を保護することによって日本全土を覆う情報網を掌握したが、信長は一向宗と敵対したために情報戦で後手にまわった。

 

中国攻めで秀吉が信長に出馬を依頼したのは暗殺するため。

尼崎、姫路、高松は秀吉の勢力圏なのにこのルートで密書を届けるのは不自然。

仮に毛利が密書を受け取ったなら、明智を打ち取って天下を取ったはずなので、明智は密書を送るいわれはない。さらに、毛利には義昭がいて、裏切った明智を許すわけがない。

むしろ、明智から秀吉への使者。

 

光秀は清和源氏直系の土岐氏を称し、秀吉はいかなる補任も受けられる新しい姓の豊臣を、家康は足利家の祖新田をと、三人とも下剋上を避けた。