平均的な人間というのは存在しない。
あるグループに属する人間の体のサイズを測定し平均しても、個々の測定値は平均の範囲内に収まらない。
平均の歴史は、平均値に象徴される「平均人」こそが人間の理想像であると主張したケトレーに始まり、その後ゴルトンによって人間は「ランク」に分類されるようになり、テイラーによって世界中の企業が「標準化」されることとなった。
エルゴード性の罠
エルゴード性→ある量の時間平均が集合平均と一致する
集団から個人を推測する
集団の平均値を個人の平均値の予測に活用する、つまり「エルゴード性」、
時間平均が集団平均に等しいならば、集団の平均が個人の時間平均に等しい。
しかし、前提は誤っている
・グループのすべてのメンバーが同一である。→そもそも、同一ではありえない。
・グループのすべてのメンバーが将来も同じである。→一人ひとりが異なる発達や学習をするため、覆される。
エルゴード性の成立しない中での個性学
個々のパターンを発見してグループを集計することで、グループの特徴を掴む
一次元的な評価軸では個性の本質を正しくとらえることはできない。
個性の原理
・バラツキの原理
私たちのほとんどは、体の少なくとも一部が極端に大きいか、もしくは極端に小さい。
個性は複数の要素、性質からなっており、それらの要素の間の関連性は多くの場合、強くない。
・コンテクストの原理
特性は神話である
個人の行動は、その行動がなされる条件や環境(コンテクスト)と個人の特性の相互作用で決まるものであり、個人の「平均的な傾向」や「本質的な性質」を求めても明確な結論は出ない
・迂回路の原理
誰もが、行く人の少ない道を歩んでいる
人間のいかなるタイプの成長についても、たった一つの正常な経路は存在せず、その迂回路も妥当なもので、個々人にとって最適な迂回路がどれであるかは、その個々人の個性によって決定される。
評価システム
・ディプロマ(卒業証書)ではなく、資格証明書
・成績ではなく、コンピテンシー(能力や適格性)
・教育の経路を自分で決める