akon2.00βのよっぱらいの戯言

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80年代前半

HITAC 20が通信制御装置に成り下がっていて、びっくり。というか、いちいちTSSからホストにバッチでコンパイルさせるより、こいつにコンパイルさせれば早いじゃんと思っていた。IPLが8インチFDに記録されていましたが、プログラムはパンチカードで書いていた。紙テープに比べたら天国。しかし、世の中ではディスプレイのついている、つまりエディットできるパンチカードが使われていたことを後で知りました。

一応、TSS端末もあったんですが、使いこなせる人が少なくて、パンチカードを使っていたようです。そのおかげでTSS端末は比較的すいていて私が利用することができました。学内で冷房の利く数少ない場所で、VOS3のマニュアルを貪り読んでいました。研究室から利用したい場合は300bpsの音響カプラーで端末室につないでましたね。

PC-8001がTSS端末になっているのにグラフィカル・エディを使えない、不便な環境でした。
これは就職してISPF(画面分割できるんだけど、コピーはできない)を5550で使っていても感じた。そういえば、PC-8001の増設メモリ(8k)が信じられないような値段でした。記録装置にカセットテープを使えたのがミソ。そういえば、8001にはBASICを教えてもらいましたが、マシン語の勉強もさせてもらいました。

でも、
日本に数台しかないないといわれたAppleIIでも遊んでいたのですが、この時点では(以降もだけど)、AppleIIはよかったです。

そうこうしているうちに、スーパーコンピュータが使える環境ができ、当時のスーパーコンピュータはベクトルコンピュータで、ベクトル化コンパイラーはFORTRANだけであったので、FORTRANで逆行列しまくっていました。もちろん、ベクトル化コンパイラを使うなんて初めてだし、これが最初で最後だった。

でも、
自分のLU分解法プログラムが数値計算ライブラリに勝てなくて傷心する日々でした。もっとも、より傷心だったのは、FORTRANのプログラムをPCのBASICに移植して実行するとターンアラウンドは圧倒的にPCの方が早いことであった。スーパーコンピュータってなに???
ときは98全盛期に突入。

でも、
CP/M上でBASICを書いたのもこの頃。このBASICは、CP/M上で動作する、つまりコンパイラBASICであった。CP/M上で動作するから、ポータビリティもあった。

Multiplan、lotus、excelを渡り歩いたのはこの頃かな。