一日の計は朝にあり
一年の計は元旦にあり
十年の計は樹を植えるにあり
百年の計は子を教えるにあり
これは、中国の書「月令広義」(明の馮応京が編集した二十五巻の書)の
一日の計は晨(朝)にあり
一年の計は春にあり
から来ているらしい。
管子によると、
一樹一穫なるものは穀なり。一樹十穫なるものは木なり
一年の計は、穀を樹うるに如くはなし。
十年の計は、木を樹うるに如くはなし。
百年の計は、人を樹うるに如くはなし。
らしいが、木は十年では育たないですね。
ちなみに宮大工を育てるのには20年かかるそうで、そのためには伊勢神宮なりを遷都?(なんという単語がふさわしいのか知らない)しなければならない。伝統を継承する必然性についてはおいておいて、別段有事を憂慮しているわけではありませんが、国産ハードを開発できる技術を保全することは、本来、国策とすべきなのに、一企業に依存していいものでしょうか。税金の無駄遣いと言われようとも、ナショナルプロジェクトが必要ではないでしょうか。いままでは、儲かるプロダクトを狙っていましたが、儲ける人材の育成というプロジェクトがあってもよいのではないでしょうか。安直に人材発掘なんてやめて、人材育成のためのIT版伊勢神宮遷都プロジェクトなんていかがでしょうか。