akon0.98bのよっぱらいの戯言

好客三年不変店 好店三年不変客

日本教の社会学

日本教の社会学
===メモ
日本の多数決は、多数意見無決。
民主主義の大前提である「作為の契機」がない。
戦前、日本には軍国主義者はいなかった。
百人切りが軍国主義の証拠と出てくるが、命令系統の否定になるのでありえない。
当時の日本の戦力を考えれば、軍国主義者であれば、戦争するなと主張している。
日本陸軍が最も占領したかったのは日本国であった。
戦前、天皇の命令に一番従わなかったのは、右翼と軍部。
日本は忠孝一致。
中国は君主に対すると義(忠誠と言わず義というと)と親に対する孝が明確に区別されている。
宗教という日本語は明治時代に作った。

維摩経の本質
契約がなければ、最高神は絶対的一神にはなれず
絶対的一神がなければ契約が宗教の内容にならない。
ユダヤ教のように神との契約の内容が宗教との内容と合致していることで、
神は人を救済できるから絶対神になれる。
したがって、神が絶対神になるためには契約が必要。
仏教には人と仏の間に契約がないので釈迦は絶対的人格神になれない。
仏は仏の慈悲によっては救済できず、各人が悟りを切り開くことになる。
仏教は悟りを切り開くノウハウを提供する。

根底に日本教という宗教があって、
その分派(セクト)として、日本教キリスト派、日本教儒教派、日本教仏教派がある。
諸宗教は薬だ。

日本教は、教義(ドクマ)、救済儀礼(サクラメント)、神義論(テオデイツエー)がない。
日本教の教義(ドクマ)としての空気。
日本には日本教以外の空気がない
空気は教義=ドクマになる。
絶対的一神との契約という考え方がある社会では空気は発生しない。
教義学と組織神学は同じ意味である。
神との契約は教義であるが、日本にはない。
空気をつぶすには、事実を事実として言う。
実情は空気を通してみた事実でなければ、生の事実をいってはいけない。
無条件降伏という実体語は
一億玉砕という空体語とバランスをとっており、
一億玉砕という空体語が終戦という現実味が帯びてくると、
バランスが崩れて、無条件降伏という実体語がでてくる。

サクラメントは救済儀礼
サクラメントは聖書にはない。
カトリックサクラメントは洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚で、
宣誓であり、奥義への参加権。
プロテスタントの殆どの教派のサクラメントは、洗礼と聖餐のみ。

日本では自然がそのまま規範化される。
つまり、自然のままであるのがなによりもよい。
日本教徒は自然であれば救済されることになる。
中国では人間が作った文化を尊ぶべきで、生の自然は否定されるべきだという考えである。
中国には本心はない。

日本での共産党は非現実的だから存在意義があり、
現実的になると共産党ではなくなってしまう。

純心人間の三つのタイプ
情緒規範の人間、空体語の人間、教義を持たない、つまり、組織論的発想を持たない人間
日本のサクラメントでは純心であればなにをしても許される。

カトリック日本教
カトリックにとって大事なものが日本教にはない
法王(ホープ)、セイント、ドクマ、カノンがない

日本の企業には正式な組織ではないが
組織として機能する下位組織があり、
下位組織には下位規範(サブノルム)がある。
正式な規範である社則や社規に違反してもつくろってもらえるが、
下位規範は人間関係の積み上げからなるので、
下位規範に違反するとたいへんである。

日本的「許しの構造」は、情緒規範的、つまり、
自分の本心を証明するという態度を取って
自分が純粋であることを証明しなければならない。
組織論に立ち入ってはならない。
実体語を口にしてはならない。
つまり、空体語で情緒規範を述べ、組織には触れてはならない。

空気を作った者が日本を制する
ドクマと神義論は表裏一体。
神義論があってドクマがあって、組織神学ができて
それに対応する組織があって現実に機能する。
技術屋を営業にするのは組織原則としておかしい。
そこで「そんなことをいっている場合じゃない」という空気を作る。
日本教においては空気イコール教義。
教義は神義論から出てくる。
空気は機能的要請から出てくる。

空気は機能的要請が作る。
機能的要請は規範を持っていない。ドクマを持ってはいけない。
したがって、でてくる言葉は空体語でなければならない。
機能的要請を的確に把握して、
実際の組織で作動するように調整する人が空気を作る。
つまり、神義論から新しい教義をつくる。
つまり、教祖。カリスマ性。

機能に対して組織論的発想を入れた機能しなくなる。
それでありながら、
機能的要請と組織の実際の運営と媒介しないとならない。

日本教のファンだメンタリズム(基本主義)は空気絶対。
キリスト教ファンダメンタリストは文字通り、聖書に書かれていることをそのまま信じる。
現人神は神の子孫である。
現人神はサルの子孫ではないのか
神話は空体語で書かれており、実体語に置き換えて読まないと、
この矛盾に悩むことになる。
アメリカ式経営学は、組織が形式的合理的に形成されている社会にのみ有効。
職場で、仕事がなくても、動いていることで働いていることになる免罪符になる。


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組織論を話してはならず、空体語で話さなければならないということなので、アーキテクチャを語っても食いついてくれないわけですね。
そして、エセScrumプロジェクトが気持ち悪いのは空体語を話しているからで、そこに実体語で挑んで炎上するまでは無駄だといことですね。