日本語学者に指摘するのはおこがましいが、「出会う」ではなく「出合う」だから。
この場合は、「とき」ではなく、「際」ではないか。これは弱気な指摘。
縦書きの日本語が、横書きの英語に出合った際に、辞書を作ろうとしたら、確かにさてどう配置しようかとなったであろう。
そして、印刷しょうとしたら、その頃は日本語の活字がない。
興味深いのは、オノマトペが現代日本語と違うこと。たとえば、当時のハチはブフブフと聞こえていたらしい。もしくは表記されていた。
おわりにの、traditionの訳語の変遷が興味深い。現在、リーダーズ英和辞典では、「伝統」という訳語を当てているが、「伝統」という言葉が日本語で使われ始めたのは二十世紀に入ってからなので、それまでは適語がなかった可能性がある。もっとも英語のtradition自体の意味が変遷した可能性もある。