akon2.00βのよっぱらいの戯言

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サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ

 

 

顕在意識(知覚できる意識の領域)は全体の10%未満。
ほとんどは、潜在意識(無意識)

 

序 私の中の見知らぬ私―講義に先立って

人間科学の「セントラル・ドグマ」

人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない。

DNA→RNA→タンパク質の、特定の順序で複製し循環する関係、分子生物学では、これを軸として大きな発展をとげました。

ドグマ(教義)、テーゼ(命題)、方法論

 

見える限界=識閾よりも下という意味で「サブリミナル(閾下)」という。

 

本人の自覚がないにもかかわらず、刺激が知覚や行動に明確な影響を与えている点です。

そうした無自覚的な心のはたらきをまとめて、「潜在的な認知過程」という。

 

つまり、人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけでなく、潜在的・暗黙的・無自覚的・無意識的な過程にも強く依存しているということ。

さらに、暗黙知がつねに先立ち、明証的な知の基礎となっている。

 

そして、もっと大切なのは、暗黙知と明証的な知とは互いに密接に作用しあっていて、それが人間の心の働きを人間独自のものにしている。

 

第1講 自分はもうひとりの他人である―自己と他者の社会認知心理学

 

個人の心の中に互いに矛盾するようなふたつの「認知」があるとき、認知的不協和と呼ばれる不快な緊張状態が起こる。

そこで当然、それを解消または低減しようとする動機づけが生じる。

しかし多くの場合、外的な要因による「認知」のほうは変えようがないので、結果として内的な「認知」のほうが変わる。

つまり態度の変容が起こる(具体的には、たとえばものや作業に対する好嫌の感情が変化する)。

 

不十分な正当化

・わずかな報酬の方がかえってその仕事そのものを魅力的にする

・報酬が多いと仕事そのものをつまらなくする

 

第2講 悲しいのはどうしてか?―情動と帰属理論

「身体的過程→潜在的認知過程→自覚的情動経験」という関係が重要

 

身体の生理学的状態と心の状態(感情、気分、態度)には密接な関係がある。

 

「泣くから悲しい」ジェームズ・ランゲ説→情動の抹消説

→情動の経験に身体の変化が先立つ

 

情動二要因理論
1.生理的興奮そのものは情動の種類に関わらず、案外類似している。
2.感情のように一見生理学的要因に直結しているように見えるものでさえ、案外無意識的な認知過程(たとえばラベルづけ)の結果である一面が大きい。
3.行動に顕れる無自覚の認知過程と、語報告に現れる無意識的な過程とは別物である可能性がある。

4.人は自分の気持ち・行動の本当の理由を案外知らない。そこではたらく過程は非生理的できわめて認知的でありながら,それでいて意識的・自覚的ではない。意識的過程は結局,意識的過程をしか(直接的には)知り得ない。

 

解剖学的な限界容量として、たとえば脳内のシナプス、これは10^15=1000兆以上とう説がある。その根拠は約10^11個のニューロンがあり、それぞれが平均10^4あるいは10^5個のシナプスを持っているから。

実際の認知機能に基づいた記憶容量の評価値として、平均20個以内の質問によってだいたい1個の事物が特定できるというのは、これを二進数に直すと2^20=100万ビットになる。機械が人間に匹敵するほど知的になるには10^9ビットの貯蔵容量が必要。

このような膨大な情報処理のすべてをいちいち意識していたら、心はパンクしてしまうので脳の情報処理が潜在的であり無意識的なのは当然。

 

第3講 もうひとりの私―分割脳と「自己」

右半球の高度に知的なふるまいを左半球は直接知ることはできず、絶えず推測しつつ、しかし推測しているということには気づかずに、事実として認知し記述している。

第4講 否認する患者たち―脳損傷の症例から


第5講 忘れたが覚えている―記憶障害と潜在記憶

記憶

宣言的記憶(後天的な学習によって獲得された顕在的な記憶)

・手続的記憶(感覚的な技能や操作などの暗黙知による潜在的な記憶)

 

記憶が一つのシステムではなく、多元的で複数の脳内システムから成っている可能性があること、しかも、そのうちの一部が潜在的・無自覚的でありうる

 

第6講 見えないのに見えている―いき下知覚と前注意過程

 

カクテルパーティー効果と前注意過程
カクテルパーティー効果→パーティーで人の輪の中で談笑しているとき、背後の別のグループの会話に自分の名前が出ると、突然それが聞こえて、そちらの会話に注意が向いてしまうという現象。これは「前注意過程」という、自覚のない知覚処理がバックグラウンドで働いていると考えられている。

 

「初期視知覚過程」

視知覚情報処理の大部分は、われわれの意識にとってアクセス不能であり、われわれはたかだかその処理の結果(=出力)を知覚現象として経験するにすぎない。

 

刺激(原因、入力)

潜在意識での自動処理

顕在意識への認識表出

反応(結果、出力)

 

ライミング法とストルーブ効果
・逆行性マスキング
ターゲットを瞬間呈示した直後に別の強い刺激(マスク)を呈示してターゲットを見えなくする方法。特に、複雑なパターン刺激を逆側の目に呈示する方法を「中枢マスキング」という。

・間接(意味的)プライミング~意味的に関連のあるプライム語を呈示しておくことにより、ターゲットの認知が促進される。プライム語とターゲットの間に相違があると報告の反応時間が遅れることを「ストループ(干渉)効果」という。

 

知覚とは複数のレベルから成り立っている現象であり、アウェアネス(気付き)を伴う知覚は何段階もある前意識的処理の最終的な産物に過ぎない。

 

第7講 操られる「好み」と「自由」―サブリミナル・コマーシャリズム

単純呈示効果
コマーシャルの販売促進原理

・説得性原理→この商品が、いかに他の製品に比べて優れているかを、消費者に納得させること。

・親近性原理→単に商品を見知っていたり、聞き覚えがあったり、なじみがあったりするだけで、消費者から選択される可能性が高まる効果。これは「単純呈示効果」と呼ばれており、特定の対象をただ繰り返し経験するだけで、その対象に対する好感度、愛着、選好性などが増大します。

 

第8講 無自覚の「意志」―運動制御の生理学と哲学

ある行為が「目的にかなっている(合目的的)」ことは、しばしば自発性・意図性あるいは随意性の指標とされる。

その逆は、盲目性・機械性。

合目的性と機械性は、矛盾しない。機械的に反応しているはずの断頭カエルでさえ、目的にかなう柔軟性を示す。

 

そこで端的にいうなら、自発的でなくすなわち随意的でない運動も、場面に応じた柔軟な合目的性を持つということが、十分にあり得るようです。

 

人が自発的にある行動を意図した時にだけ、頭の表面の特定の部位に特定の脳波が先行して現れる。これが現れると後は機械的に運動指令が筋肉まで伝わるので、「自発的かつ機械的」。

 

 

第9講 私の中の悪魔―自由意志と「罪」をめぐって

未必の故意→犯罪が実現するかもしれないと認容している。

確定的故意→犯罪の実現を確定的なものとして認容している。

意図とは「自覚」できるものであり、「無自覚の意図」とはそもそも形容矛盾である。

 

1.私たちは一見、自己の経験の自覚的直接性を疑う事なく生きているように見える。

2.しかし反面、知覚や判断や行動の由来・理由・動機・原因などを最終的に特定化する必要が生じたときには、
私たちは第三者の観察にむしろ特権を与える。

3.その場合「責任」は、本人の自覚化された意図と第三者による因果関係との間で重みづけ、ないしは斟酌される。

4.これは私たちの日常の行動様式を規定するだけでなく、社会規範をも陰に陽に裏付けている、信憑の体系である。また、同時代人によって共有されるが、時代に伴ってグローバルには変化する人間像の体系という意味で「時代の人間観」とも呼べる。

5.そこでこの「時代の人間観」をより深く理解するために、私たちは人間観の本質的な複合性を自覚し、その依ってきたる所以と根拠とを洗い直してみなければならない。

 

 

目次

序 私の中の見知らぬ私―講義に先立って
第1講 自分はもうひとりの他人である―自己と他者の社会認知心理学
第2講 悲しいのはどうしてか?―情動と帰属理論
第3講 もうひとりの私―分割脳と「自己」
第4講 否認する患者たち―脳損傷の症例から
第5講 忘れたが覚えている―記憶障害と潜在記憶
第6講 見えないのに見えている―いき下知覚と前注意過程
第7講 操られる「好み」と「自由」―サブリミナル・コマーシャリズム
第8講 無自覚の「意志」―運動制御の生理学と哲学
第9講 私の中の悪魔―自由意志と「罪」をめぐって